【納浩一 CODAを語る】3万字の楽曲解説
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【CODA コーダ】メイキングムービー【60秒ショート版】

ロング版は購入後の特典映像になっております。

アルバム『CODA』について

2021年3月、コロナ禍も1年を越え音楽シーンがすっかり沈滞していた時に、このままじゃ腐ってしまう。こんな時こそ何か前向きなことをしないといけない、とまさに逆転の発想で一念発起して始めたこのプロジェクト。本当に長く、そして苦しくも楽しい日々でしたが、いまはやり通すことができてほっとしています。

まずこのアルバム『CODA』に関しての全体像を、各楽曲の解説の前にお話ししておこうと思います。

アルバムタイトルの『CODA』ですが、これは音楽家なら誰でも知っている音楽用語です。辞書などで調べればすぐ出てくるのですが、日本語では「最終楽章」といった訳がついています。僕自身が音楽生活も、いよいよ最終楽章に入ったという想いを込めて作ったアルバムです。

そろそろミュージシャンとしてのエンディングも見えてきたことだし、そこに向けてどんな終わらせ方をするかというようなことをイメージしたときに、ならばということで思い立った企画です。それに、CDというメディアももう終わろうとしていますし、またアルバムという形で、何曲もの曲を一つのアルバムに収録して、それを作品として聴いてもらうという音楽の聴き方も、過去のものとなろうとしています。

でも僕自身は、音楽を始めたときからずっと、基本はアルバムという形で多くの素晴らしいミュージシャンの作品に接してきただけに、やはりアルバムこそがそのミュージシャンの想いやアイデア、音楽的方向性を明確に示すことができる発表の方法だと、いまも思っています。

時代の流れと自分の考え方に乖離が生まれだした昨今、その意味でも、いまがまさに自分のとっての最終楽章ではないかと感じてしまったわけです。
自分はいま、自分自身の『CODA』に進んだということですね。

僕は、自分で発表する自分名義のアルバムは生涯に2枚と決めていました。その大きな理由は、僕がベーシスト、そしてミュージシャン、さらにはアーティストとして尊敬してやまないジャコ・パストリアスが出したアルバムが、基本的には生涯2枚だったからです。彼ほどのミュージシャンが生涯に2枚しか出していないのに、自分がそれ以上出せるとは到底思えない、そんな考えから、生涯2枚と決めていました。

1枚目は1997年に出した『三色の虹』です。自分で言うのも何ですが、本当に気持ちを込めた、そしてそのときに考え得る自分の全ての力を注ぎ込んだアルバムでした。そんなアルバムを37歳の時に出したものですから、2枚目を出すというときに一気にハードルが上がってしまい、結局2枚目を作ろうと思い立つまでに25年の歳月が経ってしまいました。

というか、正直なところ、もう僕には2枚目は無理だろうと、ほとんど内心諦めかけていました。歳も重ね、エネルギーも37歳の自分にはかなわなくなってきている上に、音楽やジャズを取り巻く環境も悪化の一途、まさに下降線をたどるばかりです。もちろんそんな状況ですからCDも売れないし、さらには、先にも言ったとおり、アルバムという発信方法も終焉を迎えています。

そこにコロナ禍です。もうアルバムを出すというような状況では全くなくなってきているのですが、そんな追い詰められた状況であったからこそ、逆転の発想が生まれたといえます。コロナでこんな時間があるんだから、この時間を有効活用しよう。こんな時だからこそ、自分の音楽を見つめ直し、自分の音楽人生の集大成的なものを作ろう。と思い立ったわけです。コロナがなければこのアルバムは生まれなかったかもしれません。

コロナ以前と同じように、漫然と日々を過ごし、ただただ仕事に追われてエネルギーを消費していく。そして諦めの気持ちばかりが募っていく。時間と仕事に流されながら、これといった結果を残せないまま年老いていき、そしていつの日かベースを置く。そんな日を知らず知らずのうちに待っていたのもしれません。

いやはや、「コロナさん、ありがとう」です。

このアルバムは、97年の1枚目のアルバム発表後、ほぼ完全燃焼した自分の中に再び創作意欲が生まれ始めた2000年頃から書き溜めた楽曲が多くを占めています。そこに、アルバム制作を思い立った2021年以降に作った楽曲を加えました。

そういう経緯から、この企画では40歳過ぎくらいに作った自分の曲と向き合うことが中心になったのですが、いやはや、本当に自分でも驚くほどに、その頃の納浩一はやる気と意欲、高いモチベーションにあふれていることに気づかされました。特にビッグバンドの曲は全てその40代に書いたものなのですが、今回改めてアレンジをし直しながら、「よくここまで書いたなぁ。なんて意欲があるんだ。いまの僕なら絶対に無理」というような内容ばかり。

このプロジェクトはいわば、40歳の頃のやる気満々な自分と、60歳の還暦を過ぎ、俯瞰して音楽を見ることができるようになった自分という二人が対峙しながら、お互いの良いところを出し合って音楽を創作しているというような、ある意味、共同作業でした。そう考えると、作曲したときから20年ほどの時間をおいてから、それらの曲を作品として発表しようとしたことがよかったのかもしれません。

参加ミュージシャンやアルバム制作関係者の人脈に関しても、同じようなことが言えます。
25年前の自分の活動範囲には存在しなかった方々と深く知り合うことができ、そのおかげで、このプロジェクトは僕の想定を遙かに超えたものに大きく展開できたように思います。

言うまでもなく、アルバムはミュージシャンだけで作ることができません。
それを録音するエンジニア、録音のためのスタジオをコーディネイトする方やスタジオの関係者、ジャケットを作るデザイナー、レコーディング風景を収録してくれている映像関係の方、著作権の申請や雑誌等のメディアとの対応をしてくれる方や、そのメディアを紹介してくださる方等々。

ミュージシャン納浩一を応援してくれる、そういった方々の数や関係の深さは、25年前の比ではないということをこのプロジェクトを進めていく中で痛感しました。

その意味でも、まさに絶好のタイミングでアルバムを製作することができたと思っています。
自分の熱い想いと、それに賛同し、様々な作業を助けてくれた多くの関係者の方に心から感謝しています。
ありがとうございました!

では、楽曲ごとに掘り下げて解説します。

楽曲解説

1)B.B.Groove

参加メンバー
El.Gt: 布川俊樹、梶原順
Baritone Sax: 小池修
Dr: 山木秀夫

解説
1997年に初リーダーアルバム『三色の虹』を出したあとの僕は、自分の記憶に残るイメージとしては、いわゆる燃え尽き症候群だったように思います。

今回のアルバムに負けないくらいのエネルギーと予算をつぎ込んでの作品制作だったし、バークリー時代から書き溜めてきたオリジナル作品を一気に吐き出したので、この先何をやろう、どこに進めばよいんだろう、というようなマインドだったと思います。
とはいえ、いまと違って当時はまだ30歳代。気合いもエネルギーもいまとは雲泥の差。そんな停滞はしていられないということで、気を奮い立たせた先に思いついたのが、もっとロックやファンク色の強い音楽をやってみることでした。それには、その頃のマーカス・ミラーのユニットがひとつのヒントとなりました。

彼はベーシストといいながらも、自分のバンドではメロディやソロを弾いている場面が実に多いことは、皆さんもご存じかと思います。そういう状況では、当たり前ですがベーシストがいなくなります。そんなときに、そのベースパートを担当するのがキーボードだったんですね。僕も、もう少しベースがメロディを取ったりソロを取ったりするような状況が多い楽曲を作ってみようと思ったのですが、キーボードを使うとマーカス・ミラーと同じになります。そこで浮かんだアイデアが、バリトンサックスの利用です。

バリトンサックスというのは、本当に良い音色をもっています。美しいメロディを吹かせれば、ジェリー・マリガンじゃありませんが、本当に艶やかなサウンドになり、かたやファンクビートを吹かせれば、タワー・オブ・パワーのドクターのように、ベースに負けないグルーブが出せます。そんな楽器を入れれば、きっと個性的なサウンドを創ることが出来るのではないかと考えたわけです。でも、それだけでは面白くありません。

もう一ひねり加えて、あえてキーボードは入れず、その代わりにギター、それもロック色の強いギタリストを、しかも贅沢にも2本入れてツインリードにする。そうすればボトムはファンクで、それに乗っかるハーモニーやメロディ、ソロはロックというような、ある種マイルスやプリンスのようなサウンドが出来るのではと考え、その編成にしました。
ギタリストには、布川俊樹さんと矢堀孝一さんという、ロック、ジャズ、ファンク、フュージョンと、何でも来いというお二人にお願いしました。リズム隊は、ドラムスに岩瀬立飛さん、パーカッションに岡部洋一さんという、今回のアルバムでも大活躍のお二人です。

そんな編成で僕のオリジナルを曲を中心に演奏していたのですが、ロック色の強いサウンドを創りたいのならば、いっそロックの王道の曲もカバーしようと言うことで、ディープ・パープルの「Lazy」やエアロ・スミスの「Walk This Way」というような、まさにこれぞロックというような曲もカバーしました。ボーカリストのチャカさんにゲストで参加してもらったときには、その「Walk This Way」を、みんなでコーラスしながらやったり、またプリンスの曲なんかもやったように思います。

ところが、この「B.B.Groove」という曲自体は、その時のレパートリーにはありませんでした。この曲は元々ウェイン・ショーターの「Nefertitti」という曲をこのユニットでカバーした時に作ったアレンジです。あのゆったりしたメロディの後ろで、ベースとバリトンに強力なユニゾンフレーズを演奏させるというアイデアでした。

実のところ僕はすっかりその曲の存在を忘れていたのですが、ちょうどこの『CODA』用に選曲やアレンジを考えているときに、あるライブでの演奏後、「納さん、懐かしい音源がありますよ。1999年のクリスマスの日に六本木でやったB.B.Grooveのライブ音源。よかったら聞いてみてください」といってある方からCDをいただきました。そのCDのなかでこの「Neferitti」をやっていたのです。

いや、その演奏を聴いた瞬間に、すげぇかっちょいい、これは是非新作に入れようとなったわけです。ですが今回のアルバムは全てオリジナル曲でと決めていました。まあ、よく聞いてみると、そのアレンジでは、実はその「Nefertitti」のメロディはあってもなくても良いようなもんでしたら、だったらいっそ、それを取っ払って、違うメロディを載せようというところからアレンジが始まりました。
結局は、特にこれといったメロディは決まらず、その代わりにアコースティックベースでぶいぶいソロを取るというようなアレンジになったのですが。

この曲の重要なコンセプトは、とにかくロック・ファンク色の強いサウンドにするということ、そのうえでアルバム全体のコンセプトを提示するために、この曲を1曲目に持ってくるということでした。もっと具体的に言えば、この曲のイメージはツェッペリンの「移民の歌」なんですね。さらには曲の途中にある何拍子だか分からないようなセクションも、その着想の素はこれまたツェッペリンの「Black Dog」なのです。「Black Dog」では、ドラムスのパターンとその他の楽器のリズムが、途中で全くかみ合わないようなアレンジなっています。これを取り入れようと考えてできたのがあのセクションです。

つまりこの曲は、僕が愛してやまない、そして人生を通して最も聴きまくったといってもいいツェッペリンへのオマージュなんです。トラックダウンの時にもエンジニアの渡辺さんに、とにかく、ドラムスの音もギターの音色や振り分けも、ツェッペリンのようにしてくださいとお願いしました。おそらく、納浩一のアルバムと思ってアコースティックなサウンドを予想されていた人は面食らうと思います。

僕のルーツは結局、70年代中盤からから80年代初頭にかけて聞き漁ったロックでありソウルでありファンク。そう、ビートルズ、ディープ・パープル、ツェッペリン、アース・ウィンド・アンド・ファイア、スティービー・ワンダー、ダニー・ハサウェイ、マイルス等々なんですね。そんなルーツに正直に向き合ったら、こんな楽曲になりました。
面食らった方、すいません。

2)Change The Rhythm

参加メンバー
A.Sax:本田雅人
T.Sax、B.Sax:小池修
Tp:西村浩二、奥村晶
Tb:村田陽一
Gt:竹中俊二
Dr:則竹裕之
Per:岡部洋一
Programming:小野塚晃
ソリスト:本田雅人、村田陽一、竹中俊二、則竹裕之

解説
ジャズについて知識がある方なら、「リズムチェンジ」という言葉を聞いたことがある方も多いかと思います。これはジャズで頻繁に演奏される、ある決まったコード進行でできた曲を総称して使う用語です。
もうひとつ、同じようにジャズでよく取り上げられる曲の総称に「ブルース」があることはご存じですよね。ブルースと聞いて、ある一定の曲のフォーム(形式)を連想される方は、実は結構ジャズの知識のある方、あるいはジャズを演奏されている方かもしれません。一般の人は、どちらかというと、ブルースといえば、「ブルース・フィーリング」とよく言われる、いわゆる「ブルージー」な雰囲気やサウンドのカラーを連想されていると思います。

でも我々、ジャズ(あるいはブルース、ロック系にも通じる)ミュージシャンにとっては、ブルースとは、12小節(24小節の場合もある)で構成され、トニックやサブドミナント、ドミナントといった機能を持つコードが決まった場所に配置されている曲のフォームのことを指します。

ブルースが決まったフォームを表すのと同様に、リズムチェンジは決まったコード進行、またはそのコード進行を持った曲を表します。そのある決まったコード進行とは、デューク・エリントンの「I Got Rhythm」で使われているコード進行です。「I Got Rhythm」のコード進行(chord change)を使って違うテーマを載せた曲を、縮めて「Rhythm Change」と総称しているわけです。
まあジャズの場合、ソロが始まってしまえば、テーマのコード進行でソロを長々と取るわけですから、テーマが違っても、結局は同じコード進行上でソロを回すことになります。したがって、テーマがどんなメロディであるかということは、実はそれほど重要でないともいえます。

では実際、そのコード進行を使って書かれた曲にどんな曲があるのでしょう。特に有名な曲では、「Anthropology」(ディジー・ガレスピー)、「Oleo」(ソニー・ロリンズ)、「Rhythm-A-Ning」(セロニアス・モンク)、「The Theme」(マイルス・デイビス)などがそれに当たりますが、これら以外にもおそらく数十曲はあると思います。

長々と書いてきましたが、もうおわかりですね。 実はこの曲も、その「リズムチェンジ」の概念が土台になっているのです。ただそれらの有名な曲と同じように、僕がそのコード進行のメロディだけを変えた曲を作り、なおかつそれを普通のジャズでそのまま演奏したとしても、マイルスやソニー・ロリンズらの名演には到底太刀打ちできません。

それにこの2022年に、「僕の音楽人生の集大成の作品です」なんて気合いを入れて作ったアルバムにそんな曲を収録しても、面白いとも思えません。なんやこれ、普通のジャズやんってね。(実のところ、この曲自体は2000年頃にできていたのですが)
そこで浮かんだのが、「リズムチェンジ」をさらに一ひねりしてリズムそのものが変化するようなアレンジにしてみてはどうかという着想です。そこから生まれたのがこの曲、「Change The Rhythm」です。お聞きになって分かるように、曲の冒頭から、二つの違ったテンポのリズムが重なり合うように流れます。

これって、それぞれ適当なものをでたらめに合体させているわけではなく、ちゃんと数学的に合うように計算しているのですが、聴覚上は、なんか全く関係ないテンポに行ったり来たりしているように聞こえると思います。実際この曲のデモ音源を聞いた誰もが、一体何が起こっているのか分からない、と感じたようです。あのリズムのスペシャリスト、則竹裕之さんですら、です。それがまさに僕の狙いで、リズムがチェンジしたときに、「あれ、これどうなってるの」と聞こえる仕掛けになっています。

ただ僕自身、この曲を譜面に起こしたり、また則竹さんや小野塚さんに説明するに当たって、何度も何度もその数字を紙に書いたり、またメトロノーム上で二つのテンポを行ったり来たりさせながら計算して、ほんとにこれであってるのかなぁと頭をひねることもしばしばありました。

でも曲の基本線は、先ほども書いたとおり「リズムチェンジ」、日本語で言うところの「循環曲」というフォームなっています。それがはっきり分かるのが、本田雅人さんのサックスソロの途中、ベースが入ったあたりからのコード進行です。元はというと、なんかかっこいい、はねたファンクの曲を書きたいというのがあったのですが、世にあるファンク曲の多くが、ベースやギター、ドラムスが織りなすリズムのパターンは格好いいのですが、メロディがはじまると途端に拍子抜けするようなことになりがちです。そこでひねりを加えて、こんなアレンジにしたという次第です。

ソロセクションも、単にシンプルなコード進行の上でみんながソロを回すというありきたりなアプローチにはせず、ソロはソロでかっこいいジャズになり、一方のファンクのセクションには、ホーンセクションによるハイブリッドなハーモニーや尖ったベースパターンを配置する、そんな楽曲を作ってみたいという想いからでき上がった曲です。

しかし、この曲を作曲した2000年頃は僕はまだ40歳、若かったんですね。本当に気合いがあり、高いモチベーションで作曲に取り組んでいたんだなと感心します。こんなめんどくさいアイデア、しかもそれでビッグバンドを書こうなんて、いまの僕なら絶対考えません。

3)空に虹を、地に向日葵(ひまわり)を

参加メンバー
Voice:和田明
Gt:竹中俊二
P : 小野塚晃
Dr:岩瀬立飛

解説
この曲は、2010年に発表したEQの『Now And Then』というアルバムの1曲目に収録されています。今回なぜこの曲を再び録音しようと思ったのか、その理由からお話ししましょう。
EQは、今回のアルバムにも参加してくれている、小池修さん(サックス)、青柳誠さん(ピアノ)、大坂昌彦さん(ドラムス)と僕の4人からなるユニットです。アコースティックなジャズを基本とするユニットだったので、そのときの録音もそれらの楽器だけでの演奏となっています。加えて、『Now And Then』というアルバムはライブレコーディングで作成されたアルバムだったので、当日も、またその後も、シンセなどの他の楽器をかぶせるというようなことは一切できませんでした。

もちろんそのときの演奏は、EQらしいとても良い仕上がりのテイクだったので、アルバムの1曲目にも配置してもらえたのだと思います。でも実をいうと僕の中では、聞いた方はすぐおわかりだと思いますが、この曲はどちらかというとギター中心の、そうパット・メセニーグループのようなサウンドをイメージしていたのです。そんなこともあって、この曲をもう一度楽器編成を変え、そしてスタジオできっちりと取り直したいという想いが、当時からずっとあったわけです。そこで今回のアルバム作成に当たっては、真っ先に候補曲として選曲の中に入りました。

タイトルについて。
その2010年のアルバムでは、この曲のタイトルは「Red Pepper & Aromatic Spices」でした。日本語に訳すると、「七味唐辛子」です。単に7拍子の曲だからという、実に安易なタイトルです。その辺りも、僕の中ではずっと引っかかるものがありました。楽曲のイメージからはほど遠いタイトルですからね。今回取り直すに当たって、先ほども言ったとおり編成もまったく違いますし、アレンジも大きく変えたということもあり、じゃあいっそタイトルも変えようと相成りました。

この「空に虹を、地に向日葵を」というタイトルには、いま進行中の、ロシアのウクライナへの軍事侵略への怒り、そして一日も早くウクラウイナに平和な日々が戻ることを願う気持ちを込めました。「七」という数字は、「七味唐辛子」より「虹」の方がイメージも広がりますし、平和への願いや全体的な爽快感・疾走感からしても、やっぱり「七味唐辛子」よりふさわしいですよね。
「虹」は、以上のとおりこの曲の基本の拍子である7拍子から来ています。一方「向日葵(ヒマワリ)」は、ウクライナの国花です。空に飛び交う砲弾と、その砲弾により地面に空いた無数の穴、それが虹とヒマワリに変わることを願いました。

実はこのタイトルには、25年前に出した僕の初リーダーアルバム『三色の虹』も絡んでいます。『三色の虹』は、要するに、ところ変われば品変わる、人の価値観というのはその人の立ち位置によって全く違うという意味を込めていました。価値観の違い、意見の違いを尊重し合おうという気持ちで付けたタイトルでした。

が、そこから25年経って思うことは、僕にはやはり虹は七色に見える。自分が生まれ育った場所で植え付けられた価値観はそんな簡単には変わらない。そして他人を本当に理解することは実に困難である。自分の価値観を大事にしながら、違った意見の人と共生していくことは本当に難しいということを、還暦を過ぎて、改めて実感しています。この世の複雑さ、一筋縄ではいかない難しさも、その「虹」という言葉に含めたつもりです。
タイトルの話はこれくらいにして、楽曲の解説をしたいと思います。

イントロではベースのハーモニックスによるループを作って見ました。
7拍子ということで、シンプルなパターンをループさせるだけでも、またそれを複数重ねればなにか面白いサウンドになるんじゃないか、きっとあまり聞いたことがないような世界が創れるんじゃないかという発想です。
そこにさらに、2拍子の複数パートからなる重厚なボイスを載せれば、一層面白いサウンドになるんじゃないかと考え、和田明さんに僕の厄介なアレンジを歌ってもらいました。これがもう大成功。

ギターの竹中俊二さんのエレクトリックギターのソロやメロディ、アコースティックギターのサウンドも、さらには小野塚晃さんの素晴らしいピアノも、全てがイメージしたとおりとなりました。
それらが、岩瀬立飛さんのドライブするドラムスに乗って、実に透明感のある楽曲に仕上がりました。
皆さん、ありがとうございました。これでこの曲に関してはもう、思い残すことはありません。

4)Cook Like Monk

参加メンバー
Sax: 近藤和彦、真野峻磨、小池修、黒川和希、鈴木圭
Tp: 西村浩二、奥村晶、具志堅創、岡崎好朗
Tb : 村田陽一、鹿討奏、大浦時生、笹栗良太
Marimba & Vibraphone : 香取良彦
Dr: 大坂昌彦
ソリスト:岡崎好朗、香取良彦

解説
この曲は、おそらく1995年くらいに作曲したものです。曲の作曲時期はあまり覚えていないのですが、譜面を見てわかりました。譜面に、1999年にこの世を去った素晴らしいドラマー、トコさんこと日野元彦さんの直筆の書き込みが残っていたのです。それで、当時僕がやっていた「納浩一オーケストラ」で演奏していたことを思い出しました。

1997年に出した僕の初リーダーアルバム『三色の虹』は、このユニットのコンセプトを母体として作ったアルバムなのですが、残念ながらそのときはこの曲は選考から落ちたようです。
今回、新たにこの曲を収録しようと思った理由は、この曲がとてもビッグバンドに向いている楽曲だと感じたからです。今回のアルバム『CODA』の企画上最も重要なテーマがビッグバンドなのですが、企画を立ち上げた時点では、手元に3曲分のビッグバンドアレンジしかなく、アルバム全体を考えたときに、3曲だけではちょっと弱いという気がしたんですね。

実はこの曲も、トコさんと演奏していた頃とはアレンジを変え、10人編成程度のラージアンサンブル用のアレンジにはしてあったのですが、今回、それをさらに膨らましてビッグバンドにアレンジし直して収録することにしました。その際、せっかくのセロニアス・モンクへのオマージュなのだからと、アレンジも刷新してモンクの音楽の断片を随所にちりばめました。

さて、皆さんはそんなモンクの断片、何曲分ほど見つけることができますか?
いまざっと思い出す限りを末尾に挙げておきますね。各曲のモチーフやメロディの断片を入れていますので、是非この曲を聴きながら探してみてください。

そしてサウンドとしての重要なコンセプトが、ピアノではなく、マリンバとビブラフォンを入れるという点です。アレンジしている中で、この曲をもっとユニークなサウンドにするために、ピアノやギターというハーモニー楽器ではなく、ちょっと違ったサウンドの楽器を使ってみることを思い立ったわけです。

そこで白羽の矢が立てたのが、まずビブラフォン。そしてビブラフォンといえば、香取良彦さんです。香取良彦さんが率いていた「香取良彦オーケストラ」というビッグバンドには、僕も結成当初からずっと参加させてもらっていたのですが、それはそれは本当に独自の音楽を作り上げていました。残念ながら最近は全くライブをやらなくなってしまいましたが、実にユニークなサウンドとアレンジで、日本のビッグバンド界に大きな影響を与えたといっても過言ではないでしょう。

そんな香取さんに、今度は僕のビッグバンドに参加してもらうことにしたわけですが、そのとき思いついたのが、ビブラフォンが弾けるのなら、マリンバも大丈夫じゃないかということです。サウンドとしてはマリンバの方がもっとユニークになるはずだと。そこで香取さんにお伺いしたら、「全く問題ない。むしろマリンバの方が好きかもしれない」というではありませんか。
でも楽器はどうするのか。さすがに香取さんもマリンバを個人所有はしていないはず。そこで、ダメ元で、レコーディングを予定していた銀座の音響ハウスというスタジオにマリンバがあるかどうか確認したところ、「ありますよ。無料でお貸しできます」とのこと。なんとラッキーな流れでしょう。ということでこの曲では、香取良彦さんが演奏するマリンバとビブラフォンがキーポイントとなっています。

もう一点挙げるならば、大坂昌彦さんの演奏するセカンドラインのリズムです。
当初からこの曲のアレンジでは、ベースパターンは、そのイントロにあるような不思議なタイミングで入ってくるペダルノートだけにしていました。ただ最初は普通のファンクビートにしていたのですが(それは上記のトコさんの譜面の最初に「Intro ファンク」と、彼の字で書いてある事から分ったのですが)、それではモンクの時代感が出ません。そこで思い立ったのがセカンドラインのリズム。そしてセカンドラインを叩いてもらうなら、もう大坂さんしかいないとなったわけです。もちろん後半にはスイングのグルーブも出てきますし、なんといっても香取良彦オーケストラのレギュラードラマーが大坂さんでした。迷うことなく彼にドラムをお願いしました。

そんな様々なことが絡み合って、約25年ぶりくらいによみがえったゾンビのような曲。それにしても、よく譜面を残しておいたものです。しかもトコさんが自筆で書き込んだ譜面まで残っているなんて。
いろんな思い出の詰まった曲ですが、こんな裏話を聞くとまた違って聞こえてきませんか?

とり入れたモンクの楽曲
「Evidence」 「Round About Midnight」 「Misterioso」 「Blue Monk」 「I Mean You」

5)黄昏のリヨン

参加メンバー
B. Sax:小池修 Gt:道下和彦、竹中俊二 Wurlitzer: クリヤマコト Dr:岩瀬立飛 Per:岡部洋一

解説
今回のアルバムのコンセプトのひとつに、収録曲の1曲ごとに、特徴的な音色を持つ楽器を入れることがあります。
例えば、「空に虹を、地に向日葵を」では和田明さんのボイス、「Cook Like Monk」ではマリンバやビブラフォンがそれに当たりますが、1曲目の「B.B.Groove」とこの「黄昏のリヨン」では、それがバリトンサックスとなっています。

もちろんビッグバンドにはどの曲もバリトンサックスが入っていますが、あくまでサックスセクションのボトムを支えるというような使い方が基本ですし、僕のアレンジもそうなっています。しかしこの2曲では、バリトンサックスをもっと前面に押しだすことによって、曲のカラーにしたいと思いました。
この曲は、「B.B.Groove」や7曲目の「狢」と同じく、2002年頃にやっていた僕のユニット、その名も「B.B.Groove」のレパートリーとして書いた曲です。ユニットについては曲のところで解説しています。そんなわけでこの曲ではバリトンサックスがメロディを取っています。

さて、曲のタイトルについてお話しましょう。
時は1998年です。1998年といえば何を思い出されますか。
そう、日本が初めて、サッカーのW杯に出場した年です。

僕は本当にサッカーが好きで、日本がW杯に出場することが子供の頃からの夢でした。僕の子供の頃は、それこそ最終予選の前の2次予選くらいで、ベトナムに負けて敗退するというような、アジアでもサッカー弱小国でした。そんな子供の頃の記憶があるだけに、まさか我が日本代表がW杯に参加するなんて、長年の夢が実現したと浮かれ舞い上がりました。

1997年のW杯アジア最終予選のプレーオフ、シンガポールのジョホールバルで行われた一発勝負のイラン戦に勝って、日本が本線出場を決めた瞬間に、僕自身も「よし、俺もフランスに行く」と決めました。イラン戦の翌日には、『三色の虹』でドラムスを叩いてくれた小野江一郎さんがフランスに移住していたので、すぐに彼に国際電話をして、「W杯を見に行くから泊めてください!」とお願いしたことをよく覚えています。

1998年6月、フランスに旅立った僕ですが、初戦のアルゼンチン戦はあまりにチケットが高騰して取れず、観戦を断念。だってその試合のチケット、1枚28万円なんて凄い価格にまでなっていたんですからね。そんな中でもなんとか第2、3戦目、それぞれクロアチア、ジャマイカ戦のチケットは取れました。

初戦のアルゼンチン戦を落とした日本、迎えた第2戦目のクロアチア戦もスローな展開の中、クロアチアのフォワード、シュケルが決めた1点を守り切ったクロアチアの勝利。日本は未だ無得点のまま、あとがなくなり、第3戦のジャマイカ戦に臨むということになりました。まあ、この時点でほとんど予選突破の可能性は潰えたのですが、せめて、サッカー弱小国のジャマイカくらいには勝って、勝利の美酒に酔いたいと願わずにはいられない、そんな第3戦でした。

そして向かったのが試合会場のあるリヨンです。その日は、もう本当にうだるような暑い日で、しかもキックオフが午後の3時くらい。試合は、大方の予想を裏切って、日本はゴン中山の挙げた1得点だけに対して、ジャマイカには確か3点くらい取られたと思います。はっきり言って屈辱的な敗戦、そして3戦全敗での予選敗退。我が代表の初めてのW杯は、かくもくやしい結果だけを残して終わりました。

そんな暑さの中での、そんな試合結果に打ちひしがれながら、「こんな試合を見に、わざわざフランスに来たんやない」と心の中でつぶやきながらリヨンの駅までとぼとぼと歩いて帰ったときの、あの西日の痛さや暑さ、そして重苦しさは決して忘れません。
そんな記憶から付けたタイトルがこの、「黄昏のリヨン」なわけです。ですので、どことなく、ちょっと重くてけだるい雰囲気を出そうと思って考えたのが、バリトンサックスの起用というわけです。いかがでしょうか、そんなタイトルの由来を知って聞くと、またなんか聞こえ方が変わりませんか。

今回、この曲ではクリヤマコトにウーリッツァーという楽器を弾いてもらっています。
実はこの曲、今回アルバムに収録するに当たって、以前よりさらにファンキーな感じに作り込もうと思いました。イメージでいうと、ダニー・ハサウェイの名盤『Donny Hathaway Live』の「Ghetto」です。その曲の演奏や、またアルバムのジャケットの写真からは、ゲットーの重い空気感の中から湧き上がる、黒人達の熱い魂の叫びと強い意志みたいなものが聞こえてきます。そんな熱い魂の叫びと、激しいグルーブ感を出してみたいということで、ダニーがその曲で弾いているウーリッツァピアノをクリヤさんにも弾いてもらうことにしました。

実はこの楽器も、たまたまこの曲を収録したスタジオにあって(普通にどこにでもある楽器じゃないんですけどね)、無料でお借りすることができました。ほんと、このレコーディング、ついてます。
サイドギターの竹中俊二さんにも、コーネル・デュプリーのようなキレッキレのカッティングギターでとお願いしました。さらには小池さんのバリトンサックスといい、道下和彦さんのサンタナもビックリというようなギターソロといい、それぞれが暑く重く、でもご機嫌にグルーブするサウンドを出してくれました。

まさに全てのパーツが、僕の思い通りにはまった感があります。
そして、やっぱり僕のルーツは、ロックでありソウルであり、そしてファンクなんだということ、また僕が最も影響を受けた「ダニー・ハサウェイ・ライブ」という音楽の雰囲気を、この曲で表現できたと思っています。

6)三つの視座(しざ)

参加メンバー
Sax: 近藤和彦、真野峻磨、小池修、黒川和希、鈴木圭
Tp: 西村浩二、奥村晶、具志堅創、岡崎好朗
Tb: 村田陽一、鹿討奏、大浦時生、笹栗良太
P: 青柳誠、小野塚晃
Dr: 大坂昌彦
Per: 岡部洋一
ソリスト;村田陽一、小池修、青柳誠

解説
この曲に関しては、最初にタイトルの意味について触れておきたいと思います。
みなさんは「視座」と似た言葉として、「視野」や「視点」という単語をご存じかと思います。ではその「視座」と、「視野」や「視点」はどう違うのか。僕もこの曲のタイトルを考えるに当たって、気になったので調べてみました。あるネットのサイトには、次のように説明されていました。

  • 視座=物事を「どの位置から捉えるのか」という「物事を見る上での立場」のことを示す
  • 視野=物事を「どの範囲で見るのか」ということを示す
  • 視点=物事を「どの観点で見るのか」ということを示す

これだけではちょっとわかりにくいので、音楽に置き換えて解説してみましょう。
例えば「視野が広い」といえば、「彼はジャズも詳しいけどラテンもよく知っている。いつも広い視野で音楽を見ているから」というような使い方ができると思います。ものの見える範囲、理解の及ぶ広さや知識の幅という認識でいいでのしょう。
「視点」はというと、「彼は目の付け所がいい。この曲のリズムをラテンにしてしまうなんて、全く新しい視点でこの曲を見ている」というような使い方ができますね。ものを見るときの、まさに目の付け所、どこに、あるいはどういったことに着目して、そのものの実態や本質を見るかということかと思います。

さてでは、今回のタイトルで使った「視座」とは何か。
曲のアレンジを例にとって僕なりに表現すると、ベーシストとしての視座(全体から考えて低い位置)からと、アレンジャーとしての視座(全体を俯瞰する高い位置)からでは、曲の見え方、アレンジの着想が違ったものになるのです。「視座」を「視点」に置き換えても文は成り立ちますが、「視座」を使った方が、見ている立場や位置というのがよりイメージしやすくなると思いませんか。
ということで、この曲のアレンジのアイデアは、リズムパートを担当するベーシストとしてとしての低い視座と、一方では全体を高い位置から俯瞰し、アレンジという観点から全体の変化や構成を考えるという、いわば高い視座という、違った視座から見えるものをうまく組み合わせてみるというアレンジに挑戦してみました。
もう少しわかりやすく説明しましょう。

この曲は、基本はマイルス・デイビスの「ブルー・イン・グリーン」という曲(一説には、ビル・エバンスが、元々のこの曲のアイデアをマイルスに提供したと言われている)のコード進行を使っています。たった10小節から成る、でもとても美しいバラード曲ですが、それを「バラード」「2倍速のファンク」「4倍速のスイング」というように、同じコード進行上ではあるものの、後ろに流れるリズムを変化させてみました。同じコード進行が、三種類の異なったリズムの上で展開されると、全く違ったもののように聞こえるというアレンジです。

先の、「視座」という言葉の解説に沿って言えば、音楽の拠り所となるリズム(=視座)を代えると、同じコード進行(=物事)がかなり違ったものに見えたり聞こえたりするということです。「依って立つ位置=視座」とは、ここではリズム、そしてテンポと考えたわけです。同じく『三色の虹』も、視座に着目したことから浮かんだタイトルであり、また作曲の切り口だったと言えます。

では曲の音楽的な部分について解説します。
この曲の冒頭に現れるホーンセクションとドラムスだけのところの管楽器のフレーズや、バラード部分でのメロディが、後半になってお互いに重なりあいながら現れ、それが最後に大崩壊するというような流れになっています。それぞれが異なったメロディですが、実は全て、「ブルー・イン・グリーン」のコード進行に沿ったものです。同じコード進行なのに、全く違ったものに聞こえますよね。
途中のファンクの部分、ここを聞いていた人が「ゴジラが現れるときのような音楽」と表現した方がいらっしゃいましたが、ここはスローな部分と早い4ビートの部分を繋げるための、ある意味接着剤的なセクションです。確かに、変なアレンジだなぁと思いますが、まあそんなのも個性のうちかと思っています。

この曲は2000年頃に作ったものなんですが、それを今回徹底的に細部をアレンジし直し、また多くを加筆しました。その作業の中で、還暦を過ぎた僕は、よくもまあこんなチャレンジングなアレンジを書こうと思ったものだと、若かりし納浩一のエネルギーに感心しました。『CODA』を作っていなければこのアレンジもお蔵入りになっていたと思うと、このアルバムを出せて、この曲が世に出て本当によかったと思います。

曲の最後は、突然のカットアウト(音が突然消える、これに対して徐々に小さくなっていくのを、フェードアウトといいます)にしたのは、ビートルズのアルバム『アビーロード』のA面の最後を意識しました。
本当は、LPバージョンではこの曲をA面の最後にして、このカットアウトでA面を終わらせるのが狙いだったのですが、曲が多すぎてLPは結局2枚組となり、その目論見は見事に外れました。とはいえこのカットアウト、ちょっとドキッとしませんか。

もう一つ付け加えるなら、この曲のタイトルは、もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、ジャコ・パストリアスの代表曲、「Three Views Of A Secret」も意識しています。ジャコがそのタイトルにどんな意味を込めたのかは分かりませんが。そして、最後のホーンセクションが全員で好き勝手に吹くというアイデアも、実はジャコのセカンドアルバムに収録されている「Crisis」を意識し、僕なりに、いま現実に我々が直面している危機を表現できればと思ってやってみました。
その意味ではこの曲は、尊敬してやまないジャコ・パストリアスへの、僕からのオマージュです。

7)狢

参加メンバー
Gt:布川俊樹、梶原順
B.Sax:小池修
Dr:山木秀夫
Organ:秋田慎治

解説
まずこの漢字、読めますか。
「むじな」と読みます。
ネットでその意味を調べると、基本は「狸=たぬき」の別称のようですが、「たぬき」や「ハクビシン」「アライグマ」といった種の動物の俗称を指す場合もあり、また妖怪の一種を指すときもあるとか。いずれにしても、一般的には「同じ穴の狢」という使い方がほとんどでしょう。では、なぜそんな漢字をタイトルに選んだのか。当初のタイトルはまさに、「彼女も狢?」というものでした。最後に「?」は付けていましたが。
実はこの曲は元々、元衆議院議員で、前回の選挙で落選してしまった辻元清美さんへの応援歌というような気持ちで作ったものなのです。というのも僕と彼女は小学校の同級生という、驚くような(驚くほどでもないか)関わりがあるんですね。

僕の通う小学校に4年生のときに、彼女が転校してきたときのことはよく覚えています。それから時が経つこと20数年、なんと彼女は国会議員になってしまいました。まあ、同級生の中では最も著名人になってしまったわけです。新聞やテレビ等でもしょっちゅう見聞きしていたのでよく知っていたし、もちろん、小学校の同級生だったことを忘れるわけがありません。
ところがどっこい、彼女はつい最近まで、小学校の同級生に納浩一なるものがいたことは全く覚えていなかったようなんです。まあ、僕だって小学校の同級生を全員覚えているかというと、そんなことはありません。僕はその意味では、全く目立たない少年だったということでしょう。久しぶりに再会したときにそれがわかりました。
ジェラルド・カーティスさんという、日本語の本当に達者な政治学者で、しかもピアノも嗜む人がいらっしゃるのですが、その方のパーティーがアメリカ大使公邸で催されたときに、メインイベントの企画として、渡辺貞夫さんとの共演でジャズのライブが行われました。当時貞夫さんのサポートメンバーだった僕も、大使公邸に行きました。

そのときには、当時の皇后陛下(美智子妃殿下)もいらしたのですが、なんと辻元さんもそのパーティーに、ゲストの一人として呼ばれていたんですね。それこそ小学校の卒業式以来の再会ですから、40年ぶりくらいです。で、パーティーの終了後、タイミングを見て彼女に「納です。覚えてる」と聞いたら、きょとんとした顔をしていました。瞬間に、僕のことを全く覚えていないことが察知できました。

そのときはほんの一瞬の再会だったのですが、一応名刺だけは交換しました。その後、小学校の同窓会が開催され再々会したときには、会の幹事が僕のことちゃんと彼女に伝えてくれていたこともあってか、しっかり覚えてもらえたようです。彼女は早稲田大学で、大学のそばにある有名なジャズ喫茶、「Intro」にもよくジャズを聴きに行っていたというくらいジャズが好きだということは、そのイントロのマスターからも聞いていました。

前置きが長くなりましたが、まだ再会する前の2002年、彼女が秘書の給与を規定以外のことに使ったとかで議員辞職したときに「え、辻元さん、あんたも同じ穴の狢やったんか?」と、ちょっとショックを受けたのです。そんなこともあって、ちょうどその頃にできた曲に「辻元、しっかりせいよ」という想いを込めて付けたタイトルがこの「同じ穴の狢?」というわけです。

正直なところ、この曲の内容やイメージと彼女の辞職は基本的にはほとんど関係ないのですが、そんな時事の話題をタイトルに付けておくと、その曲をいつ頃作ったのか、またそのとき世の中はどんな感じだったのか、また自分はそのとき何を考えていたのかというようなことが思い出されて、それはそれでいいと思っています。チャールズ・ミンガスの有名な曲で、「フォーバス知事の寓話」というタイトルの曲がありますが、ちょっとそんな真似をしてみたということです。
その後、彼女は再び政界にカムバックしたこともあり、「狢」という漢字一文字にスッキリさせました。昨年の選挙で彼女は落選の憂き目にあっているのですが、今回は選挙の結果ですからね。まあこの曲でも聴いて、今回の参議院選挙では頑張ってください、辻元さん。

ま、それはさておき、テーマやコード進行はもうバカみたいな曲なんですが、逆にファンクビートを強く前面に出したいときは、コードやメロディをシンプルにするのがファンクミュージックの定石だと思います。そのほうがかっこいい。
この曲ではそのファンクビートを前面に出すべく、山木さんのドラムスと秋田さんのオルガンの起用したのですが、そこにちょっと違ったスパイスとして、梶原さんのアコースティックギターを入れてみました。これで、この曲が一風、違ったサウンドになったように思います。しかし三人とも、ご機嫌で強力なグルーブミュージシャンですね。
その上に、ジョン・スコフィールドを愛してやまない布川さんに、持ち味のソロをグイグ弾いてもらうというのがこの曲の聞き所ですが、まさにそれらのピースが見事にはまって、ご機嫌のサウンドができたと思っています。

8)Milesmiles

参加メンバー
Sax: 近藤和彦、真野峻磨、小池修、黒川和希、鈴木圭
Tp: 西村浩二、奥村晶、具志堅創、岡崎好朗
Tb: 村田陽一、鹿討奏、大浦時生、笹栗良太
P: 青柳誠、小野塚晃
Dr: 大坂昌彦
Per: 岡部洋一
ソリスト;小池修、青柳誠、大坂昌彦

解説
この曲は、2003年に出したアルバム、『The Earth Quartet」に収録した曲です。EQのデビューアルバムです。この「Earth Quartet」というのを縮めて、通称「EQ」と呼ばれていたユニットですが、サックスの小池修さんが中心となって、ピアノの青柳誠さん、ドラムスの大坂昌彦さんと僕の4人で立ち上げたユニットです。

その当時、特に日本のジャズシーンではセッションが中心で、また演奏曲もスタンダードが中心という状況だったのですが、一方海外に目を向けると、パット・メセニーグループやチック・コリアのエレクトリックバンド等々、固定したメンバーで、しかもオリジナル曲を演奏するというのが主流でした。海外のそういったバンドは、それでなくても強力に達者な連中が、しかもステディなメンバーでリハをしっかり積み重ねて自分たちの音楽を作り込んでくる。かたや日本では、ただ当日集まって、譜面をみんなに配って「さてどうしよう?」というような状況。ときには、「あ、はじめまして」みたいに、初対面のミュージシャンもいます。これでは、その演奏内容を比較すれば、クオリティの差は歴然。
そのような状況をなんとか打破しようと立ち上げたユニットが、このEQだったわけです。ですので、ステージでは絶対譜面を見ないとか、メンバーのうち一人でも都合がつかないときにはその日の演奏は受けない、はたまたオリジナルしか演奏しない等々、かなりの縛りを自分たちで設けていました。

そんな我々のメッセージがあってかどうかは分かりませんが、最近の若いミュージシャンを見ていると、EQが目指していたような、固定のメンバーでバンドとして自分たちの音楽をしっかり創っていくというようなジャズユニットの在り方へのアプローチも、かなり一般的になってきたように思います。多くのバンドがオリジナルを演奏していますし、また固定のメンバーでしっかりと音楽を作り込んでいくというコンセプトで頑張っている若いジャズミュージシャンがたくさん出てきたように感じます。

これはとても良いことなんですが、そんな良い流れがあるにもかかわらず、特にコロナ禍以降、残念ながら日本のジャズを取り巻く環境を見ていると、そうやってユニットを維持していくことが本当に難しくなってきているのも事実。特に我々EQのメンバーは、そのほとんどが還暦を超え、生活にもいろんな縛りができてきてしまい、EQとしての演奏活動を維持することが困難になってきたため、数年前に、一旦その活動を休むという判断になってしまいました。

ということで、前置きが長くなりましたが、そうはいってもせっかく作ったユニットですし、またそのユニットのために書いた曲でもあります。この「Milesmiles」という曲をこのままお蔵入りにしてしまうのはもったいないということで、数年ぶりにこの4人のリユニオンを企画し、ならばそのユニットでずっとやってきた曲をリメイクしようということで、この曲をアルバムに入れることにしました。実はこの曲、ビッグバンドにアレンジすると面白いのではないかというアイデアもずっとあったので、いつの日かそんな機会があればビッグバンドアレンジにも挑戦してみたいと考えていました。

そんなこんなの流れから、この曲ではEQの全員をフューチャーして、その4人全員がソロを取るということにしましたし、さらにサックスソリは、その『The Earth Quartet』に収録されている小池さんのサックスソロを採譜して5管のサックスセクションにアレンジしてみようと考えました。
この曲のタイトルについてお話ししましょう。
この曲はそのタイトルにある通り、マイルス・デイビスがよく使うフレーズをモチーフにして作った曲です。テーマの冒頭に、ベースとトロンボーンのユニゾンで演奏しているフレーズがそれですが、そのフレーズだけを元にどんどん拡げていった曲です。

タイトルは、「Miles」と「Smile」という、全く相反するイメージの言葉をくっつけてみました。だって、マイルスの笑顔ってほとんど思い浮かびませんよね。マイルスといえば、しかめっ面で、あの小さなしゃがれ声で、ステージ上で周りのミュージシャンやスタッフに指示を出しているというイメージ。きっと僕なら、ステージ上でマイルスと目が合った瞬間に縮み上がってしまうと思います。まあでも、そんなことを一度くらいは経験してみたかったとも言えますが。
そのマイルスのモチーフがとてもキュートなフレーズなので、全体的にも聞きやすい楽曲となっているように思っています。その意味では、逆にこのアルバムでは、他の曲とはちょっと違った雰囲気のストレートなジャズのビックバンドサウンドになったのですが、それはそれ、1曲くらいそんな作風があってよいのかなと思い、こういったアレンジにしてみました。

でも曲やアレンジがシンプルだからといっても、簡単にアレンジを仕上げることができたかという、それは大違い。例えばテーマ部分では、どの楽器同士をユニゾンでブレンドさせるといいのかや、その場合のバックグラウンドはどれくらいの厚みで、どのパートに割り当てるのがいいのか等々。ビッグバンドは、その選択肢がコンボよりも遙かに多いだけに、そういったチョイスを見極めるのも大変ですし、またそこには正解というものがありません。

サックスソロも、小池さんのソロを採譜するところから始まったのですが、それだけでもベーシストの僕には本当に大変でした。しかもそれをそのまま5管に割り当てられるということでもありません。5管にはそれぞれに良い音域もあれば、上手く響かない音域もあるので、それぞれにあった音域を考ながらアレンジしていかないといけないですし、それに関して言えば、採譜したフレーズをユニゾンにするのか、あるいはハーモナイズするのか、ハーモナイズするなら、どういったボイシングがよいのか等々。もう、複雑に絡み合った知恵の輪を、一つ一つ分解したり、再びくっつけたりしているような、それはそれは気の遠くなるような作業でした。

いやはや、ビッグバンドのアレンジがこんな大変な作業だとは思いませんでした。そんな試行錯誤の結果、こういったアレンジになったのですが、やっぱり未だに正解かどうか分かりません。音楽とは、そしてビッグバンドとは、かくも深いものなんですねぇ。

9)消えゆく森の声

参加メンバー
Violin: 西田けんたろう
Chelo: 伊藤ハルトシ
Per: 安井源之新

解説
曲の冒頭を聴いて、ああ、このタイトルにある「森」とはブラジルのアマゾンのことかなと感じた方も多いと思います。アマゾンとは言わないまでも、ブラジルのどこかの森。
それは、「ビリンバウ」という、ブラジル音楽には欠かせないパーカッションの音が、冒頭から鳴っているからではないでしょうか。僕がこの楽器を初めて見たのは、その昔、ブラジルを代表するパーカッショニスト、ナナ・ヴァスコンテロスがパット・メセニーグループで奏でている映像だったと思います。

今回この曲のイントロダクションの作成には、日本を代表するパーカッショニスト、安井源之新さんにお願いしました。様々なパーカッションや、鳥、雷、笛といった効果音で、イントロにある「森の声」の音作りをしてくれました。
源之新さんは僕の知る限りにおいて、もっともブラジルを知り尽くしたパーカッショニストです。実はこの曲、もともとは「リオ・デジャネイロ」というタイトルの曲で、そこからも分かるように作曲当初からブラジルをイメージしていました。そこで、ブラジルを強く連想することのできる楽器として、ビリンバウを入れてみようと思い立ちました。

源之新さんに「ビリンバウは演奏されますか」とお伺いしたところ、「もちろん。ビリンバウはブラジル系のパーカッショニストならマストです」とのお返事。ブラジル音楽を追究するパーカッショニストなら、ビリンバウの演奏は避けて通れない、マストアイテムだということだったんですね。そういったわけで、この曲は、そのビリンバウを中心に、ブラジルテイスト溢れる曲に仕上げていこうと考えました。
イントロの着想について触れておきます。
この曲をブラジルテイストの曲に仕上げるために、源之新さんの参加を構想しているときにふと見たのが、源之新さんがとあるコンサートにピアニストとデュオで出演されている映像でした。源之新さんだけのフリー演奏で始まる曲で、まさにこの曲のイントロダクションのようなシーンが創り出されていました。これだと思いました。

僕はブラジル音楽も大好きで、大きな影響を受けています。2015年には、源之新さんや、このアルバムに参加してくれているピアノのクリヤマコトさん達と一緒にブラジルツアーもしました。そこでは、ブラジルを代表するような素晴らしいミュージシャン達と共演をすることができ、彼らの音楽性の高さと音楽に対する愛の深さに、大いに刺激を受けました。もちろん一般の人もみな、まさに「no music, no life」を体現していました。またその前年の2014年には、ブラジルで開催されたサッカーW杯に行ったのですが、まさか2年続けてブラジルに行くことができるとは思ってもいませんでした。

それはさておき、今回のアルバムにも是非、1曲はブラジルテイストの曲を入れたいと思ったのですが、ただそれを普通のサンバやボサノバにしては面白くないと考え、そこで思いついたアイデアが、ビリンバウの使用であり、さらには源之新さんの幻想的なフリーソロというものでした。しかしそれでもなお、曲がはじまったら普通のボサノバになるのでは物足りなかったので、ならば全ての伴奏を、エレクトリックベースとアコースティックベースだけでやり、その上でバイオリンとチェロが優雅なメロディとソロを奏でるというアレンジにしてみようと考えました。

この曲の伴奏は、ルートがアコースティックベースのみ、ハーモニーは6弦のエレクトリックベースのみでやっています。結果、聞いたことがあるようでないようなサウンドになっていませんか。もし「おや?」と思われたとしたら、それはギターもピアノも入っていないからだと思います。同様に、バイオリンとチェロだけにしようと考えたのも、より個性的な曲にしたかったからで、この点に関しても、これをギターやピアノで演奏すれば、やはり普通になるような気がしました。いっそ全てを単音の弦楽器だけでやったほうが絶対に面白いと思ったわけです。

バイオリンの西田さんとは、まだ出会って1年くらいです。彼は主にタンゴを演奏されているようですが、だからこそ、哀愁のある音色と、かたや力強いラテンのグルーブを心得たスタイルのバイオリニストだというわけですね。そういった観点から、僕のこの曲では是非西田さんに弾いてもらおうと思いました。
一方、チェロの伊藤さんは、実は僕の教えていた大学の卒業生。学生の頃からよく知っていたのですが、卒業後は、あれよあれよという間に引っ張りだこのミュージシャンになりました。そのもそのはず、ロックからジャズまで、様々なスタイルのギターが弾ける上に、チェロもこの腕前。とにかく、即興がバリバリ出来るチェリストなんて、少なくとも日本にはほとんどいません。僕のこの曲で、メロディはもちろん、ソロまでお願いできる人と言えば、やはり伊藤さんしかいないと思います。

お二人とも本当に素晴らしいプレーヤーで、その実力通りの音を奏でてくださいました。
さて、こうやってなんとなく曲想がまとまってくると、タイトルはどう考えてもリオデジャネイロという雰囲気ではなくなってきました。やはりリオデジャネイロと聞くと、サンバカーニバルやジョビン、イパネマの海岸が浮かぶのが普通で、こんなもの悲しいサウンドはイメージできませんよね。あれやこれやいろいろ試行錯誤して、やっとたどり着いたタイトルが、この「消えゆく森の声」でした。

イントロの幻想的なサウンドやもの悲しい曲調、哀愁のあるバイオリンやチェロの音色、淡々と伴奏をするエレクトリックベースなど、うまくタイトルにはまっている気がしています。

アマゾンの森はいま、凄まじい勢いで日々、その面積を減らしていると聞きます。森、そしてそこに住む動物や鳥たち、また先住民たちも、みんな悲しみの声を上げていると思います。そういうものたちに思いを馳せて作ったつもりですが、考えてみればまったく他人事ではありません。

10)ひとりぼっちのジョージ

参加メンバー
A.Sax: 本田雅人
T.Sax、B.Sax: 小池修
Tp: 西村浩二、奥村晶
Tb: 村田陽一
Dr: 則竹裕之
Per: 岡部洋一
Programming、Keyboard: 小野塚晃
ソリスト: 村田陽一

解説
このタイトルを見た人は、ジョージって誰だろう。日本人?アメリカ人?なんて疑問が湧くかもしれませんね。でも実はこのジョージ、人間じゃないんです。ガラパゴス諸島のある島に生息する、その島特有種のゾウガメのことなんです。
ピンタ島という島で発見されたので、正式には「ピンタゾウガメ」というそうです。研究者達が「ジョージ」と呼んでいたこの雄カメは、生き残った最後の1匹でした。当然子供を作ることはできません。彼が死ねばその種は絶滅します。種として生き残っている最後の1匹なので、Lonesome George(ひとりぼっちのジョージ)と呼ばれていたようです。
ゾウガメですから、その寿命は人間と同じかそれより長いくらいです。ジョージが2012年に残念ながら死んでしまったときの推定年齢は100歳越えくらいだったようです。「ひとりぼっちのジョージ」って、なんかとてもかわいらしいあだ名ですが、そのいわれを聞くとちょっともの悲しく、哀愁がある気がして、僕はとてもこの名前が気に入りました。

ちょうどその頃ちょっとユーモラスなメロディを持った曲ができたので、その曲のタイトルに使うことにしました。しかしもし自分が生き残った最後の一人になってしまったら、さぞや寂しいだろうなぁと思いますね。まあ、ジョージにそんな感情があったのかどうか分かりませんが。
そしてそういう状態を招いたのが、やはり人間なんですね。この亀も、食料用に大量に殺されたそうです。よくある話ですね。過去に、そしていま現在、さらには未来においても、我々人類はどれほどの数の生き物を絶滅に追いやっているのでしょうか。いや動植物だけでなく、同じ人間ですらひとつの種(民族)を絶滅させようとした人さえいます。
タイトルの説明はこれくらいにして、曲の解説に進みます。

この曲も、2曲目の「Change The Rhythm」と同じく、小野塚さんに作ってもらったコンピュータのデータに、まずは僕と則竹君が生のベースとドラムスを差し替え、それを管楽器の皆さんが各自、自宅でそれぞれの生の演奏に差し替えていくという作業で録音しました。
この曲は、聴いていただければすぐ分かるように、ジャコ・パストリアスの「LIberty City」にインスパイアされて作りました。具体的に言えば、印象的なベースパターン、ユーモラスでキャッチーなリフ、バンド全員でのユニゾンパートというような部分です。そこに、ポイントごとにちょっとしたエレクトリックベースでのソロも入れてみました。
でもいくら「Liberty City」にインスパイアされたとしても、パクりになってしまってはいけません。ある意味、この曲もジャコに対するオマージュですが、その「オマージュ」と「パクリ」の線引きは、音楽ではとても難しいところです。感じ方も人それぞれで、これじゃパクりでしょ?と感じる人もいれば、強い影響を受けているけど、やっぱり違う。オリジナリティがあると感じる人もいると思います。そういうことに気をつけながら、ジャコとは違った納浩一色を出せるようにしました。

実は僕自身、いつか「ジャコ・パストリアス・ビッグバンド」みたいなものもやってみたい思っていました。もしそんなことが実現すれば、是非そのときに演奏してみたいというような曲を作ろうと思って書いた曲でもあります。でもこの先、自分のビッグバンドで、しかも自分のオリジナル曲を演奏するというようなチャンスはさすがにないでしょう。それだけに、こうやってアルバムだけには残しておきたいと思ったわけです。
ということで、またひとつ夢が現実のものとなり、思い残すことがまたひとつ減りました。これはとっても幸せなことです。そういえば、ジョージには思い残すことがあったのでしょうか。あったとするなら、やはり種の遺伝子をこの世に残せなかったことなのでしょうか。

そんな観点から言えば、このアルバムは、僕がこの世に残した遺伝子のようなものかもしれません。演奏は、人の記憶には残っても、基本は一瞬で消えていきます。しかしアルバムは、人類がこの世にいる限りは、おそらくデータとしては残り続けるでしょう。
我々ミュージシャンにとって、あるいは創作活動をする全ての芸術家にとって、作品を残すということは最も重要な作業であり、その結果生まれた作品こそが、その芸術家がこの世から消えた後も残り続ける、その人の遺伝子なんじゃないかと思います。そんなものが残せただけでも、このプロジェクトを完成させてよかったと実感しています。

11)その先に見える風景

参加メンバー
Tp: 岡崎好朗
Tb: 村田陽一
EWI: 小池修
Gt: 道下和彦
Dr: 岩瀬立飛
Per: 安井源之新

解説
このアルバムを作ろうと決めて、最初に作曲に取りかかったのがこの曲です。
SNSでたまたまある海外のダンサーの動画が目に入り、そのときに流れている曲がとてもかっこよかったんですね。古い時代のジャズのスイングテイストの曲に、今風のラップが乗っているような音楽だったのですが、その古さと新しさが絶妙にブレンドされたサウンドがあまりにかっこよく、また新鮮にも聞こえました。そこで、僕もそういったスイング時代の雰囲気を今風にアレンジしてみようと考えたのが、この曲の作曲にとりかかったきっかけです。

ただ、曲の全編をスイング時代のようにするのは僕の芸風でもありませんし、このアルバムの中でも浮いてしまいます。またラップを歌えるような知り合いもいません。そんなことであれこれ悩んでいるうちに、じゃあジャズの歴史の流れを1曲のなかで表現してみてはどうか、というアイデアが浮かびました。

最初はスイング時代(というか、もっとまえの、アフリカン・ビートかもしれません)から始まり、テーマが終わってトロンボーンソロが始まるところから、モードの時代に移行します。テンポやリズムは変わりませんが、コード進行やギターのアプローチ、サウンド、ドラムスのフィールなどによって、ジャズの歴史でいうと30年ほど時代が進みます。

そしてバンド全員でのテュッティのセクションを挟んで、小池さんの演奏によるEWI(ウインドシンセサイザーといって、見た目はリコーダのような笛の形をしているのですが、アルバムで聴けるような様々な音色が出せます)のテーマが始まるところからは、さらに時代は20年ほど進んで70~80年代のフュージョンに移ります。僕としては、ウェザーリポートのようなサウンドをイメージしたつもりです。

小池さんが素晴らしいソロで世界をどんどん拡げていき、そこにまたテーマのメロディ(やはりEWI)が重なってくる中、小池さんのソロはどんどん熱を帯びていきます。そうこうしているうちにリズム隊がフェードアウトし、EWIだけになった辺りからは、宇宙に飛んでいくような世界感になります。どこかしら「2001年宇宙の旅」の世界ですね。小池さんには「なにか壮大な感じで」とだけ僕のイメージを伝えたのですが、それを小池さんが見事に表現してくれました。

そしてその辺りから聞こえてくる赤ちゃんの声はが、僕の初孫の声です。
不思議なものですが、その声を聴いているだけでつい微笑んでしまいます。その意味では、赤ちゃんの笑い声というものは、どんな素晴らしい楽器の演奏や音色にも負けない、癒やしの力があるのかもしれません。
曲のタイトルは、ジャズのスタイルが次々と変化していくことと絡めて、「その先に見える風景」としました。

スイング時代、その先に見えた風景はビ・バップはハード・バップでした。そしてその次はモード、それからフュージョンとなり、いまに至ります。
では今いる我々の先にはどんな風景が見えるのでしょうか。この先、ジャズはどこに向かって進んでいくのでしょうか。

正直言って、還暦を過ぎた僕にはもうこの先の風景はよく判りませんし、全く見えてきません。もっと言えば、いまの僕の音楽はどちらかというと、過去に見てきた風景に戻っているといった方がよいでしょう。でも僕の孫の世代には、まさにこれからいろんな風景が見えるのだと思います。こと音楽においても、きっといまとは違うものが、10年、20年、30年後に現れていると思います。
もちろん、僕はもうその頃には生きていませんから、それがどんなものなのかは知るよしもありませんが、それが素晴らしいものであって欲しいと願わずにはいられません。それは同様に、環境であったり平和であったりもするわけです。

未来を生きる子供達に、少しでもいまよりましといえるような世界を残せるように、いまを生きる我々が頑張らないといけないということは、よく判っているのですが。
実はこの曲は、ドン・グロルニックという素晴らしい作曲家兼ピアニストから受けた影響を、自分なりに消化してできた曲でもあると考えています。きっとドン・グロルニックをよく知っている人なら、ああ、この辺りのアイデアねとわかってもらえると思います。この曲はその意味では、そのドン・グロルニックに敬意を表した曲でもあります。それがまさに僕が過去に見た風景であり、そしてその風景を基に、いま見えている風景を僕なりに表現してみました。

12)うつろう(作詞:納浩一)

参加メンバー
Vocal:HAKU
朗読:納葉
P : 島健
Gt:三好‘3吉’功郎
Organ:秋田慎治
Violin:西田けんたろう
Chelo:伊藤ハルトシ

解説
今回のアルバムでは、かつてトライしたことがなく、でもいつか一度はやってみたいと思っていたことへの挑戦も、大きなコンセプトのひとつです。例えば「ビッグバンドアレンジに挑戦」もそうですし、「ボイスによるハーモニーのアレンジ」もそうです。「バイオリンやチェロを自分の楽曲に入れてみたい」というのもそのひとつでした。
そんな中で最もやってみたかったこと、そして最も「やれる」とは思っていなかったことが、作詞です。なぜ作詞をしてみたいと思ったのか。

もともと僕が音楽に出会ったきっかけは、中学生の時のビートルズでした。それからというもの、僕はもう洋楽一辺倒の音楽人生でした。なので日本のポップスや歌謡曲はほとんど、少なくとも能動的には聴いてきませんでした。テレビで流れてくる音に耳を傾けるといった程度ですね。(なのに、いまでもそらで歌える曲が結構あるのには驚きますが。)いまも基本は同じなので、そういう意味では日本語での歌詞の世界というものに関しては全くのド素人です。そんな僕ですから、このアルバムを作ろうと思い立つほんの数ヶ月前の段階では、まさか自分が作詞をするとは考えもしていませんでした。

でもこのアルバムの一番大事なコンセプトは、できないと思うこと、そしてそれがもしやってみたいと思うことなら、このアルバムでやってみるという逆転の発想です。これは無理、あれは無理とあきらめるのではなく、ならばどうすればできるようになるのかを考え、そこから挑戦を始めてみる。そうやって考えてみると、作詞もそのひとつだったということです。

それに、詩こそ書いたことはありませんでしたが、文章を書くという意味では、もうここ30年くらい、ジャズライフ誌での連載や自分のHP、FB、また数冊の理論書等、本当にたくさんの文字を書いてきました。そしてそういった中には、政治のことや人生のこと、恋愛のことなど、言いたいことも山ほど発信してきました。言いたいことがなかったわけではなく、「詩」という形で、自分の想いを表現してこなかったということです。ずっと聴いてきた洋楽に関しても、その多くには、英語ではありますが歌詞があります。

それこそ、ビートルズやスティービー・ワンダーやキャロル・キングらの曲の歌詞には本当に強く心揺さぶられ、僕の人生の大事な教えとなったような内容のものもたくさんあります。
そんなことを考えたときに、これは自分でも1曲くらい、歌詞を書いてもよいんじゃないかと思うようになり、その思いがどんどん強くなってきていたのも事実です。また、いわゆるジャズミュージシャンが作るアルバムに、自ら日本語で作詞した曲を入れるということだけでも、多少話題にもなるのかなという狙いもありました。

まあそれでも、聴いた瞬間に、その内容で皆さんがこけるような歌詞だとしたら、それはやらない方がましですよね。その意味では本当にプレッシャーがありました。この曲の歌詞、もう一体何度書き直したことか。日本語でありながら、歌詞の世界がこれほど奥深く、また一筋縄ではとても作ることのできないものであるということを、もちろん判ってはいましたが、でも実際に自分でやってみて改めて思い知らされました。この歌詞が皆さんにはどのように感じられるのか、未だに不安でいっぱいです。

ただこの歌詞を、この曲で歌ってくれているHAKUに初めて見せたとき、「納さんらしくてとっても良い世界感だと思います。この歌詞、大好きです」と言ってくださり、本当に一安心。いまでは、トライしてよかったと思っています。もちろん未だに不安もありますが。

ではそのボーカリスト、HAKUについてお話しましょう。
福岡在住のHAKUとは、5年ほど前に知り合いました。以前都内に住んでいらっしゃって、今は同じく福岡に居を移された知り合いのプロデューサーから、HAKUのアルバムでの演奏を依頼されたのがきっかけです。その際デビューアルバムを送ってもらったのですが、その音源を聴いて1曲目でぶっ飛びました。「なんだ、この声。なんだ、この唄い方。一体だれこれ」って。

もちろん、世の中には、特にジャズボーカルのフィールドでは、日米問わず、本当に上手いボーカリストはたくさんいますが、今回僕が求めていたのはそういった技巧派ではなく、独特のサウンドを持ったボーカリストだったということです。そして英語で歌うということも、少なくとも自分のオリジナルを作る場合は全く想定していませんでした。まあ、書きたいと思っても、英語の知識がなさ過ぎて無理ですが。とにかく音楽は個性的であることが最も大事だと思っています。すでに還暦も過ぎ、技巧的なことに興味がかなり薄れてきたという、自分自身の音楽的方向性の変化もあります。そんなこんなが相まって、このアルバムで唄ってもらうのはHAKUしかいないとなりました。

さて、もう一人の参加者である僕の娘、納葉についても触れておきましょう。
この曲のひとつの前の11曲目「その先に見える風景」では、孫の声を入れました。前回の『三色の虹』では、葉も含め、二人の娘の声を入れたのですが、それは25年前の話。いまや二人とも大人になったのですが、二人とも音楽の道には進みませんでした。これほどのトップミュージシャンを集めたアルバムで、素人に唄を歌わせるわけにはいきません。

でもできたら自身の最後のアルバムに、もう一度この二人を参加させたいと思いました。
そこで考えた解決案が、長女についてはその娘の声を入れることで代役を務めさせる。赤ちゃんなら、その声を入れるだけですばらしいサウンドになります。

でももう一人はどうしようかと悩む中で、そうか役者をしているんだから喋りのプロだ。ならば語りで入れようといアイデアがひらめきました。
それに詩の朗読というのは、実は音の中では逆に、その音楽に強いインパクトを与えるという効果があるように思います。このあたりも、ビートルズの「Number 9」や、加藤和彦さんのサディスティック・ミカ・バンド、またスティーブ・スワローのアルバムなどから得たヒントです。

さて、では最後に歌詞の内容について。
当初、この曲を書き出したときは、この曲はコロナのことをテーマにしました。「色が消えた町」は、ネオンが消えた町。その中を、光を求めながら彷徨う人たちの、その心がどんどん萎えていく、そんなコロナ下でのなんともやるせない雰囲気を「うつろう」という言葉で表現しようと思いました。「うつろう」とは、「徐々に弱まっていく様子」という意味もあるそうです。

ところがそうこうしているうちに始まったのが、ロシアのウクライナ侵攻。これはコロナ以上に、僕には衝撃的な事件です。まあ、誰にとってもそうでしょうが。で、改めて歌詞を見直したら、その歌詞のほとんどが、そのまま戦争に対する憤りの想いに通じていたのには、自分自身驚きでした。もちろん、戦争という状況に合わない内容もあったので、そういう部分は、再度書き直しました。

「空を切り裂く風は、一筋の弧を描き、激しく燃え上がる」という歌詞はまさに、この戦争が始まったころに見た映像です。
それは、ウクライナの青い空を高速で飛びながら、その先にあるビルにぶち当たって、そのビルを激しい轟音と爆風と共に破壊するという映像でした。その映像を思い浮かべながら考えた歌詞です。

11曲目のエンディングにある可愛い孫の「バイバイ」という声でこのアルバムを終わらせられれば良かったのかもしれませんが、この世の中はそう簡単ではありません。この戦争が、とにかく一刻も早く終わり、そして僕の孫を含め、すべてのこども達に、いまよりちょっとでもましな風景が見えるように、そんな気持ちをこの「その先に見える風景」と「うつろう」という2曲に込めました。

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CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

オサム・ワールド、ここに完結!
日本のトップミュージシャンたちが一同に集結した珠玉のアルバム CODA、完成しました。
今回プロデュース及び全曲の作曲・編曲・作詞を納浩一が担当
1998年のソロ作品「三色の虹」を更に純化、進化させた、オサム・ワールドを是非堪能ください!