新作アルバム「CODA」に参加してくださったミュージシャンへのインタビュー、その第6回目はピアニスト、キーボディスト、アレンジャー、コンポーザーという、あらゆる顔を持つクリヤマコトさんです。

今回、僕のアルバムでは「黄昏のリヨン」という曲で、ピアノではなくウーリッツァーというキーボードで参加していただいています。
この曲は、イメージとしてはダニー・ハサウェイの「Ghetto」のような雰囲気が欲しかったので、そのダニーが弾いているウーリッツァーを使おうとおもったのですが、その楽器でダニーのようなファンキーな感じプラス、ハンコックのようなジャジーなサウンド、フレーズ、グルーブを出せるのはクリヤさんしかいないということで、今回この曲に参加していただきました。
ここまで紹介してきたミュージシャンは皆、知り合ってから30年とか40年というような、本当に旧知の仲の方達ばかりだったのですが、クリヤさんとの出会いも1989年ですから、もう33年前。
初めてクリヤさんと、それも国際電話でお話しした時のことは忘れもしません。
六本木にあった、確かウッディーベルという名前だったかと思うのですが、そのお店に出演しているときに、そのお店のママさんが、「今度、アメリカからとても素晴らしいピアニストが帰ってくるんですが、いまその人と電話を繋げるから、ちょっとおはなししてみない?」と声を掛けてくださり、そのときに取った受話器の先にいたのがクリヤさんでした。
クリヤさんも、留学先のアメリカから、いよいよその活動の舞台を日本に移すという時で、そんなことから日本のミュージシャンの知り合いや、また日本の音楽の状況についての情報が欲しかったのだろうと思います。
とはいえ、僕も東京に出てきてまだ1年も経っていないところだったので、それこそ、僕の方こそそういった情報に飢えていました。
そうこうしているうちにクリヤさんも帰国したのですが、その頃僕はやっと、新宿のにある当時よく流行っていたカフェバーなるところでのデュオの仕事を取れるようになっていたので、早速クリヤさんを誘って、そのバーでのデュオの仕事にお誘いしました。

そのバーでのある日の出来事は、二人とも未だに語り合っては大笑いします。
ある日、二人で、それこそアメリカ帰り直後の尖りまくったマインドで、ガンガンに盛り上がりながら演奏していたら、演奏直後の休憩時間に、ある一人の客がつかつかと我々に近づいてきます。
さぞや、「いや〜! 白熱の演奏、良かったですよ!」と褒められるのかと思いきや、開口一番、「うるさくて喋られないから、もっと静かに演奏してくれる?」だと。
「ああ、自分たちの現状はこういうことなんだな…」と実感した次第です。
そこから経つこと33年、まあ僕らのデュオに来て、「静かに演奏しろ!」という人はもう日本にいないと思いますし、そんなところで演奏することもないでしょう。
そんなクリヤさんとは、いまももちろん、アコースティックウェザーリポートやリズマトリックスといったユニットでご一緒していますし、また「Jazzyなナイトショー」といったTV番組やコンサート等々、あらゆる現場で顔を合わせています。
またインタビューにもあるように、僕名義のアルバムは3枚あるのですが、その全てに唯一参加してくれているのもクリヤさん、ただ一人です。
ということで、これからもいろんな現場でクリヤさんと時間を共有出来ることを本当に楽しみにしています。

CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

オサム・ワールド、ここに完結!
日本のトップミュージシャンたちが一同に集結した珠玉のアルバム CODA、完成しました。
今回プロデュース及び全曲の作曲・編曲・作詞を納浩一が担当
1998年のソロ作品「三色の虹」を更に純化、進化させた、オサム・ワールドを是非堪能ください!