サロンの「インタビューコーナー」の新企画として、僕がこれまでにジャズライフ誌などで行ったインタビューや対談、さらには僕自身がインタビューされるといった記事を、全て文字に起こし、サロンに投稿したいと思います。
幸い、それらのインタビューなどが載った号は、ちゃんと取り置いていた辺りは、さすが僕ですね!
まあ、ジャズライフ誌とは長年のお付き合いなので、僕のインタビューを自分のサロンに無断で公開しても、怒られることはないでしょう(と、勝手に判断)。
そうやって古い記事を調べてみたら、結構いろんなベーシストにインタビューしてるんですね。
マーカス・ミラーに至っては、3回ほどインタビューさせてもらっています。
その他、僕と同じ歳なのにすでにこの世を去ってしまったビクター・ベイリーはじめ、リンカーン・ゴーイング、クリス・ミン・ドーキー、ブライアン・ブロンバーグ等々。
ということで、このインタビューの再文字化、随時アップしていきますので、是非楽しみにしていてください!
その第1回目は、1997年、僕は自分の初リーダーアルバム、「三色の虹」を発表したとき、そのアルバムのプロデュースをお願いした村田陽一さんとの、ジャズライフ誌上での対談を投稿したいと思います。
1997年は僕が37歳の時ですが、うちの家計は父も兄も、40歳を迎える前の、30歳代後半でこの世を去ったので、僕も少し運命じみたものを感じ、40歳までには自分史に残るようなアルバムを出しておきたいと強く思っていました。
そんなことで、満を持して出したのがこのアルバム。
当時はまだまだスタジオ代も高く、しかもストレートアヘッドなジャズアルバムではなかったので、本当に何日もスタジオを押さえての録音となりました。
さらには、総勢40人ほどのミュージシャンに参加してもらったので、それだけでもかなりの出費になりました。
今だから言いますが、正規の値段で録音していたら、高級外車が一台買えるくらいの金額。
でもそれを、ミュージシャンやスタジオの皆さんのご厚意で本当に安くしてもらい、なんとか国産高級車1台くらいの値段に抑えることが出来ました。
ま、死を覚悟すると、いろんなこともやり通せるってことでしょうか。
そんな、気合いの入ったアルバムですが、まずは各曲の参加ミュージシャンを紹介しておきます。
今見ても、皆さん各方面で大活躍の、本当に素晴らしいミュージシャン達。
いやいや、手前味噌ですが、僕の人選も良かったですね!
これを見て興味が湧いた人には、「是非聞いてください!」と言いたいところですが、おそらくもう、そう簡単には手に入らないかもしれません。廃盤じゃないんですが、相当な枚数の発注でないと販売元が作ってくれないという、悲しい事情があるもので。
ま、それはさておき、では各曲ごとの参加ミュージシャンを記しておきましょう。
●「三色の虹」 納浩一
録音:1996年11月21,22,25日 1997年1月28日 2月10日
場所:クレセントスタジオ
エンジニア:森本八十男
アシスタントエンジニア:近藤秀昭
マスタリングエンジニア:宮本茂男
1)Be-Bop 作曲:ディジー・ギレスピー 編曲:納浩一
ホーンアレンジ:村田陽一
リズムプログラミング:岡本洋
Horn:ソリッドブラス・ホーンセクション(Tp:荒木敏男、西村浩二 Tb:村田陽一
Sax:小池修、竹野昌邦、山本拓夫 Tuba:佐藤潔)
Tp Solo:原朋直
As Solo:緑川秀徳
2)三色の虹 作・編曲:納浩一
S・Sax:佐藤達哉
Gt:道下和彦
P&Kbd リズムプログラミング:岡本洋
Dr:小野江一郎
Per:カルロス管野
3)イースト・リバー・ラット 作・編曲:納浩一
Flute:ボブ・ザング
Gt:道下和彦
P&Kbd:岡本洋
Dr:小野江一郎
Per:カルロス管野
4)リトル・ボーイ 作・編曲:納浩一
Vib:香取良彦
Gt:布川俊樹
Per:横山達治
5)テルアビブ 作・編曲:納浩一
A・Sax:藤陵雅裕
Gt:三好功郎
Accordion:田之岡三郎
P:クリヤ・マコト
Syn:岡本洋
Dr:小野江一郎
Per:岡部洋一
6)南京への道 作・編曲:納浩一
S・Sax:藤陵雅裕
Gt:三好功郎
Accordion:田之岡三郎
P:クリヤ・マコト
Dr:小野江一郎
Per:岡部洋一
7)イエティの足跡 作・編曲:納浩一
Vib:香取良彦
Gt:布川俊樹
Per:横山達治
8)Nox 作・編曲:納浩一
ホーンアレンジ:村田陽一
Horn:ソリッドブラス・ホーンセクション(Tp:荒木敏男、西村浩二 Tb & P:村田陽一
Sax:小池修、竹野昌邦、山本拓夫 Tuba:佐藤潔)
As Solo:緑川秀徳
Dr:日野元彦
9)おやすみ 作・編曲:納浩一
Vo:島田歌穂
P:島健
どうでしょう、人数も多いですが、素晴らしいミュージシャンの面々だと思いませんか?
そのほとんどの人が、いまも音楽シーンで大活躍されています。
僕としても本当にうれしい限りです。
ということで前置きが長くなりましたが、ではそのジャズライフ、1997年8月号での、僕と村田陽一さんとの対談から。
●ジャズライフ1997年8月号 納浩一&村田陽一
「自分の出したいと思った音を自然に出してみた」
ーまずは、お二人の出会いから聞かせてください。
納(以下 O):僕がバークリーから帰ってきた次の年ですから、’89年くらいですかね。
初共演は、確か新宿ピットインの朝の部に、村田さんのバンドで一緒に出たときですね。
村田(以下 M):ということは、ちょうど「ソリッド・ブラス」が出来る直前ですね。
O:お互いが低音楽器ということで、あまり派手な楽器じゃないですよね。
だから、プレーヤー同士の接点というより、お互いにバンドを一歩下がったところから全体を見渡している、そんな立場に共感し合っていたように思います。
それはプレーヤーというより、コンポーザーやアレンジャーの立場としての共感に近かったような気がしていました。
M:考えていることも、凄く似てますよね。
二人の共通項は、コンポジションやアレンジメントという表現を使うことによって、もっとトータルなサウンドをクリエイトしてデザインするスタンスに楽しさを見い出すところじゃないでしょうか。
今回、納さんがアルバムを作るって聞いたときに、これはベーシストのアルバム作りはしないだろうなって思ったんです。サウンド・デザインの部分が前面に出るような、そんなアルバムになるだろうなって。だからどうしても協力させてもらいたいなって。
O:自分のプロデュースが出来てない人のアルバムって、どんなにウマイ人のものでも飽きてくるんですよね。マーカス・ミラーでもジャコ・パストリアスでも、その辺りがしっかり出来ている。
逆に彼らでも、ベースがずーっと前面に出ているとしたら、だんだん聞くのが辛くなってくると思うんです。
今でこそ、ベースはフロント楽器として認められるようになって来たわけですが、そうはいってもギターやサックスのようにはなれないし、ベースがずっとソロばかり取っているアルバムには全く興味がありません。
だから今回アルバムを作るにあたって、ソロイストは1曲に一人か二人、そして例えばギター中心の曲の次にはフルートをフューチャーするというような具合で、できるだけ同じ構成のものが続かないようにしました。
M:納さんとは常々、日本人が音楽を演奏するに当たって、テクニックで勝負しようとするのは無理があるって話をしていました。
海外の人と対等にやり合って行くためには、作・編曲や、サウンド・デザインで渡り合うしかないだろうって。
日本にも上手なプレーヤーが出てきているのに、ワールドワイドに活躍出来ないのは、やっぱり個人個人のアイデンティティーがないからだという結論になります。
僕らが自分の存在を示す方法としては、ひとつに曲作りがあって、もう一つに楽器編成というものが挙げられるんじゃないかと思っています。そういう考えが、納さんとはとてもよく合致するところで、今の日本のジャズに欠落している部分だと思うんですよね。
O:今回のアルバムでは、5つの、全然異なる編成のセッションが組まれているところが、自分でおもしろいと感じるところなんですが、それに関して、村田さんはプロデューサーとして、散漫になりはしないかって危惧しませんでしたか?
M:ベースがこういった形で、エレクトリックもアコースティックも、一枚のアルバムの中に入ってしまうのは、かなり危険なアプローチでしたよね。
でも納さんが言うほど、全体の散漫さは心配していませんでした。
納さんが何を必要とし、誰を参加させようとしているのかが判ったから、全てがはまる曲に仕上がるだろうというのは、予測がついていました。
それと、ライブが瞬間芸術であるのに対して、僕たちのアルバム観というのは、何十回、何百回と聴ける作品になっていないといけないもんだと思うんです。
ジャズのアルバムには、瞬間芸術の記録としての作品が多いように思えるし、それが良かったりするわけですが、今回のアルバムはそういうふうには捉えていません。
何度も録り直しをしているし、切って貼って繋げる。ドキュメンタリーとは違った、確立した作品として仕上げようとしました。
その意味で言えば、アルバムという形態では再現性のないものをやっても良いんですよね。
1曲目の「Be Bop」なんて、リズムトラックに打ち込みを使った、再現性のないヒップホップなんですけど、あの曲が1曲目という位置に配置されているということが、僕たちの音楽を表現するにはとても重要な意味があることだと思っています。
そういえば、今回のアルバムでは、納さんは何本かもベースを使い分けていましたよね?
O:アコースティックベース、インナーウッド製の4弦ジャズベース、フォデラの6弦、スタインバーガー製の5弦フレットレスの4種類を使いました。
参加ミュージシャンをいろいろ使い分けたように、作曲方法からベースのアプローチまで、何から何までもを、曲ごとに変えようというコンセプトにしました。
でも、自分の出したいと感じる音を自然に出していったら、それに応じたベースが必要だったということなんです。
ただ、いままでにどこかで聞いた何々ふうというようなアプローチにはしたくなかったので、ちょっと違ったエッセンスを、もう一ひねりして加えてみるというようなことをずっと考えていました。
とにかく、他人とは違ったものに仕上げてみたかったんです。
でもそれが、ひいてはワールドワイドに通じるアイデンティティーになっていくものではないかなと考えています。
それから、1997年に生きている者として、人種問題や環境問題等々、いろんな問題が周りに渦巻いていますよね。僕は音楽家として、ステージやアルバムの中で、そういった問題に対するメッセージを発することが出来る立場にあると思うんです。日本のジャズシーンにも、そんなメッセージをどんどん発する人がいても良いんじゃないかなって思っています。
M:ジャケットに使われた写真と、アルバム・タイトルにも深い意味がありましたよね?
O:「三色の虹」というタイトルは、アフリカのある地域の人には虹が3色にしか見えない、というか、虹の色は3色にしか識別する必要がないということを知ったときに、本当に衝撃を受けました。そんなことでこの言葉をタイトルにしました。
ということは、人によってはあれが10色にも12色にも見える、というか、その人にとって色の識別が7色では足りないというのであれば、そのように識別するということですよね。
これを音楽に当てはめてみると、僕たちは12音階だと感じているオクターブも、インドにはそれよりもさらに細かい音程があったりするというのと同じことかと思います。ビックリですよね!
ということで、僕たちが、いや僕が当たり前と思っている、いわゆる常識というものも、それを全く当たり前と思っていない人やそうった考え方あるんだなということを意識するというのが、このアルバムでの大きなテーマなんです。
ジャケットの写真も、僕の子供と同じ歳くらいの子供が、ゴミの山で鉄くずを拾いながら生計を立てているという状況を写した写真です。その子の持つ常識と、僕の子供が持っている常識って、この先どれほど差が開いていくんだろうって考えずにはいられません。
その意味では、「そもそも常識って何?」、いや、「常識なんてものがあるの?」というような問題意識を提起してみたかったんです。(以上)
と、まあ、こんな対談でした。
いやいや、なんか若い感じですね。だって僕はまだ36歳ですから。
今の僕が見れば、本当に若いミュージシャン達。でも勢いがあって良いですね。
とにかく村田君、本当にありがとうございました!
写真には、「三色の虹」を発売した当時のチラシもあります。
なんとそこには、村田君のコメントはもちろんですが、トニーニョ・オルタやギル・ゴールドスタインからのメッセージが添えられています!
今見るとびっくりですね。
そこには、こんなことが書かれています:
○村田陽一:彼とは、私のオーケストラ等一緒に演奏する機会が多いが、彼はベーシストとしてはもちろんのこと、作・編曲家としても非凡な才能の持ち主だと、私は確信している。
それはこのアルバムを聴けば一目瞭然である。
彼のサウンドは極めて個性的で、特に私は、クールさとホットさの二曲面を持った彼のサウンドが好きだ。このアルバムが、日本のインストルメンタル・ミュージック界の刺激剤になることを望む。
○トニーニョ・オルタ:コウイチの音楽は、ジャンルや国の枠にはまらない広い世界へ案内してくれる。彼の曲の生み出すエネルギッシュなサウンドには、洗練されたセンスのポップなアイデアと独自のジャズのコンセプトが融合している。そしてそれは彼のベース・プレイも同じだ。
これほどおもしろいサウンドを、日本の素晴らしいミュージシャンたちが演奏しているなんて、本当に驚きだ。納浩一の音楽が成功することを心より願っている。
○ギル・ゴールドスタイン:納浩一は自己の楽器で、彼ならではの独自のボイスを発し、アコースティック、エレクトリックを問わず、あらゆる「ベース」を自分のものに出来るごく限られたベーシストの一人だ。
いやはや、なんともありがたいお言葉の数々で、今読んでも恐縮の極みです。
このアルバム発表から23年ほどの歳月が経ちましたが、まあ、なんとかこうやってこの世界でがんばっていられるので、このお褒めいただいたお言葉も、当たらずも遠からずと思って良いでしょうかね?
最後に、もう一つの写真は、同じく1997年10月号のアドリブ誌の表紙と、そこに載った「三色の虹」の紹介記事に添えられた写真です。
しかしたった2ヶ月で、こうも髪型が変わるって、どういうこと?
ということで、次回は同じく1997年10月号のジャズライフ誌で、今は亡きビクター・ベイリーとおこなったインタビュー記事を取り上げたいと思いますので、是非楽しみに!