「納がオサムを語る」のコーナー、第4回目です。
今回は1984年12月、いよいよアメリカはボストンに旅立つこととなったオサム少年が、その留学先のバークリーでどのような経験を積み、今のベーシスト・納浩一の原型がいかに作られたかというようなあたりのお話をさせてもらうことにします。
(全文はサロンにて公開しています)
多くの仲間に見送られながら、アメリカ行きのノースウエスト航空機に搭乗したオサム君ですが、実はこれが初めての海外旅行。
まったく右も左もわかりません。しかもスチュワーデスさんは金髪のお姉さん。
お水をもらおうとしたときに、「Water」という英語が彼女たちに通じないことを知り、「ほんま、俺、これからアメリカでやっていけるんかいなぁ?」と、マジで不安になりました。
1984年の12月、まさにクリスマスの時期にアメリカに渡ったのですが、すぐにボストンに行かず、1ヶ月ほどNYにいて、NYの音楽状況をしっかり把握しておくことにしました。
そこでは本当に多くのミュージシャンを見ました。
もう一日に2つのライブのはしごはあたりまえ。一体何本のライブを見たでしょう?
でも最も印象に残っているのは、NYに着いた最初の夜に見に行ったライブです。そこはSeventh Avenue Southという、当時ブレッカー兄弟が経営に携わっていた、フュージョンファンなら知る人ぞ知るクラブです。無くなってしまったのが本当に残念です。
そこでのライブですが、その日のベーシストは、写真の、新聞からの切り抜き(これもNYに行ったことにある人ならご存じかと思いますが、Village Voiceという、NYの様々な情報が満載の新聞)にあるように、トム・バーニーだったんです。
ところが3曲くらいが終わった頃に、マーカス・ミラーが、しかもベースアンプを自分でステージに引きずりながら現れるではないですか!
で、そこから2曲くらいは2人のベースでやっていたのですが、いつの間にかトムがいなくなり、あとはマーカスがずっと弾いていました。
そこからのマーカスの演奏には、本当に頭をぶん殴られた思いでした。
というのは、その後に演奏した何曲かのうちの数曲がスタンダードだったのですが、その演奏の素晴らしいことといったら!
もちろん、他の曲もめっちゃかっこよかったことは言うまでもありません。
マーカスといえば、スラップバキバキのファンクベーシストということはよく知っていましたが、まさかここまでスタンダードがバッチリ弾けるとは想像していませんでした。
そしてそのあとNYやボストンで見た、ダリル・ジョーンズ、ウィル・リー、ジョン・パテトゥイッチ、ビクター・ベイリー等々、みんなしっかりジャズが演奏できることに、本当に驚かされました。まあ、今から考えれば当たり前ですが。
そして晴れて1985年1月に、バークリーの学生となったオサム少年は、そこからひたすら練習と勉強の日々となるわけです。
バークリーに行ってすぐ感じたのは、バークリーにいる学生の、各楽器トップ数人なら、その当時の日本に行けばすぐにナンバー1クラスになれるレベルだということでした。
そしてもう一つ、びっくりしたのが、多くの学生がオリジナル曲を書くというスタンスです。
さらには、ビッグバンドのアレンジなんかも、みんながこぞってやっている状況にも本当に驚かされました。
そんなことで、「僕も作曲や編曲を勉強しなきゃ!」と痛切に感じたオサム少年は、メインのコースを、作曲・編曲科にしたわけです。
ここでバークリーのレイティングシステムについて触れておきます。
レーティングというのは各1〜9で表示される、3桁の数字で表されます。そして各桁がそれぞれ、読譜、伴奏、ソロのレベルを表している訳です。
例えば「333」という数字なら、読譜も伴奏もソロも、そのそれぞれのレベルが、9段階のうちの、3のレベルであるということです。
バークリーには、「このバンドに入っているやつは、トップミュージシャン!」と自他共に認めている名物アンサンブル授業があって、多くのトップレベルの学生がその授業に入ろうと狙っています。その中にはオーディションまであるものもあり、このような切磋琢磨が、また学生のレベルを上げるんですね。
そういったトップレベルのアンサンブルに要求されるレーティングの数字が「777」という、バークリーの中では「ストレートセブン」といわれるもので、この数字を持っていれば、バークリーのどのアンサンブルも受講可能というレベルな訳です。
で、僕も大学に入ってすぐ、それこそまさに学費の納入の手続きを済ませ、どんな授業を取るかというような入学案内に参加した直後、このレーティング試験を受けたわけです。
そこまでは普通の流れだったのですが、自分の試験は終わったのかなと思いきや、試験監督の先生から、「コーイチ、このまま残って、もうちっと弾いていなさい。」と言われました。
僕としては、「もう少し弾かせて、僕の実力を見極めようということなのかな?」と思ったわけです。だって初めて受ける試験ですから、どんなことが判断基準なのか等々、何もわからないわけです。
でもあとからわかったのですが、僕に対する試験は早々に終わって、その結果はなんとストレートセブン!
もうその時点で、バークリーのすべてのアンサンブルが受講可能だったわけです。
で、残りの時間は、他の生徒のレーティング試験のヘルプだったわけですね。
ちょっと自慢話のようですが、僕のバークリーのスタートはそんな感じでした。
バークリーには、当然ですが、世界中から生徒が集まっています。
そんな中で、僕は、僕以外が全員イスラエル人というバンドに参加することとなりました。
写真は、そのユニットで、ドイツのフェスティバルに参加したときのもの。
僕が挨拶しているのは、もちろん、あのレジェンド、レイ・ブラウンです。
僕らの演奏の前がザビヌル・シンジケートで、それをステージ袖で見ていたら、なんとあのレイもいるではないですか!
レイは、「レイ・ブラウン&ミルト・ジャクソン オールスターズ with カーメン・マクレィ」という、なんともすごいメンバーで、僕らの後の出演。いやはや、今から思えば、単なるバークリーの学生バンドが、こんなすごいステージに出させてもらえたわけです。
ということで、大変長くなりましたので、バークリーの生活や勉強内容に関しては、さらに次回のこのコーナーで続きにしたいと思います。
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