Jazz life 対談 マーカスミラー

今回の対談は、1998年12月号のジャズライフ誌での、マーカス・ミラーと行ったものです。
彼は僕にとっては、ジャズを志したときからの憧れのベーシストです。
年齢的には1歳しかかわりませんが、彼は10代のデビューの時から一気にトップベーシストに躍り出た人。キャリアが違いすぎます!
初めて彼の演奏を見たのは確か僕が19歳の頃、1980年頃で、彼がGRPオールスターズの一員として日本に来たときのコンサートの放送でした。
そのときの彼はアフロヘアーで、僕にはかなり歳食ったおっさんに見えたのですが、後で聞いたらなんと若干20歳!
若手なのにすごいベーシストが出てきたもんだなと感心していたら、そこからはもう、出るアルバムどれを見ても、参加してるではありませんか!
ブレッカーブラザーズ、トム・スコット、渡辺貞夫、渡辺香津美といったフュージョン系から、アレサ・フランクリン、ロバータ・フラック、チャカ・カーンといった、R&Bやソウル系に至るまで。
そして極めつけは、忘れもしない、1983年の大阪扇公園の特設ステージでのマイルス・デイビス復帰コンサート。
僕にとっては初めての生マイルスだった事もあり、さらには大好きなマーカスがベースを弾いているということもあって、人生でも最も印象に残るコンサートの一つとなりました。
しかしまさかその本人と、こうやって対談できるとは思いもしませんでした。
そんな機会を作ってくれたジャズライフ誌には本当に感謝しかありません。
そしてこのときは、初めて彼を見てから20年弱、彼と対談まで出来るようになった自分に「拍手!」って感じでしたね。
でも当時38歳だった僕が、そこからまた20年ほどしたら、なんとマーカスと同じステージでバトルをすることになろうとは、さすがのそのときの彼も想像だにしていなかったでしょう。
それはさておき、そんな憧れのマーカス・ミラーの対談です。
そういえば、先日、東京ブルーノートの配信プログラムで、ロン・カーターが出演してくれたときに、そのプログラムのパネラーとして参加させてもらいました。
そのときに、「納さん、ロンに何か聞きたいことがありますか?」と事前に聞かれていたので、自分なりに質問を考えておきました。
それは以下のような質問です:

1)マイルスバンドに誘われた理由は、ロン自身はなぜだと考えていますか?
2)マイルスから受けた指示やアドバイスで、最も印象に残っているものは何ですか?
3)トニー・ウィリアムスの思い出を聞かせてください。
4)ズバリ、グルーブとは?
この配信プロブラムを見られた方もいらっしゃると思いますので、彼の答えをご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。
僕がなぜこのロンにこれらの質問をしたいかと思ったかというと、実はマーカスが都内のある音楽学校で行ったクリニックの動画を見たときに、彼に対する質問の中で以下のようなものがあったからです:
1)マイルスト一緒にやっていて、もっとも印象に残ったことは?
2)グルーブって何ですか?
僕はそれに対するマーカスの答えが、本当に心にズバッと突き刺さったので、是非ロン・カーターにも同じことを訊きたいと思ったからです。
ロンとマーカスの、それぞれの答えはインタビューの後に取っておくとして、ではまずインタビューを読んでみてください。
対談
納(以下O):昨夜、あなたのオフィシャル・ホームページのQ&Aをダウンロードして全部読んだんです。
マーカス(以下M):本当? あれは全て真実です(笑)。
O:だから、実を言うともう訊くことがないんです。はい、インタビュー、終わり!(笑)。
M:毎晩答えを書き続けて、1年間かかったよ。
O:そこで、HPではあまり触れられていなかったことを訊きたいと思います。
僕が初めてあなたを間近に見たのは、ニューヨークの7th アベニューサウスというジャズクラブでの、「リロイ・ストリート・オールスターズ」というセッションバンドによるライブでした。ずいぶん前(1984年)のことですけど。
M:何だ、そのヘンテコな名前のバンドは!? (笑)
一体どういうバンド? 7th アベニューサウスは、リロイ・ストリート沿いにあったジャズクラブだから、スタッフか誰かが適当に付けたんじゃあないかなぁ?
O:メンバーが、トム・バーニー(Ba)、ケニー・カークランド(Kbd)、ボブ・バーグ(Sax)、マイク・スターン(Gt)、ピート・アースキン(Dr)で、そこにあなたが飛び入りで参加したんです。自分でアンプを持ち込んで!(笑)(この日のライブの音源は隠し撮りしたんですが、今も愛聴しています!)
そのうちトム・バーナーがどこかへ行ってしまって、後はあなたがずっと弾いていました。
M:ほんとに? 覚えてないなぁ。
O:そのとき弾いた「Body & Soul」のあなたのソロが本当に素晴らしくて!
どういう風にしてああいうビ・バップ・フレイズを身につけたんですか?
M:ありがとう。
僕はフュージョン・ベーシストになりたかったんだけれど、偉大なフュージョン・ベーシストになるためには、まずジャズを学ばなければならないだろう?
だから随分ビ・バップを演奏した。

ニューヨークのビ・バップ・バンドにいたこともあるし、大学でもホーン・ソロやベースを学んだ。朝から晩までに。
O:ビ・バップに関する理論などは独学なんですか?
M:ニューヨークにはビ・バップ・ミュージシャンもいっぱいいるし、本も読んだし、大学でも勉強した。ありとあらゆるところから吸収したよ。
O:確かに、HPを読んで、あなたはなんて素晴らしい環境で育ったんだろうってため息が出るほどでした。
M:本当に、ニューヨークは凄いよ。
ディジー・リースというトランペット・プレーヤーと演っていたときの話だけれど、僕はエレクトリックベースを持ってブーツにベレー帽という、ビ・バップを演るにはかなり妙な格好をして店に行くと、ディジーは曲名も何も言わないでいきなり演奏を始め、僕をテストしたんだ。
それから、違うキーで演ったり、ときには僕が聞いたこともないような曲を、何も言わずに演り始める。そういうときには、とにかく1コーラスじっと聴いて、サビも聴いて、2コーラス目の頭から入るんだ。とても厳しかったけど、すごく勉強になったね。
O:何歳の時のことですか?
M:17歳くらいだね。
O:そうそう、先日リリースされた「ベース・プロジェクト」(Pヴァイン・レーベル)というアルバムで、16歳頃のあなたの演奏を聴きましたよ。
そこであなたは「Have You Met Miss.Jones?」を演奏されてましたが、16歳でなんであんな演奏が出来るんだろうって驚きました!
M:ありゃひどいよ! 恥ずかしくて聴けたもんじゃない(笑)。
O:でも、すごかった!
M:この間、オマー・ハキム(Dr)と僕らが、15,6歳くらいの時に演奏したテープを聴いたんだけど、これがもうひどい!
でも反面、嬉しくなってしまった。というのは、実はしばらく、僕はあまり大したプレーヤーではないんじゃないかなと悩んでいたんだ。もっとやらなくてはならないことがたくさんあるんじゃないかってね。
だけどそのテープを聴いて、僕はなんて上手くなったんだろうって嬉しくなったわけ(笑)。
O:でもやっぱり16歳であの演奏は凄いですよ!
M:まあ、客観的に見ればそうなのかもしれないけどね。
でも僕が16歳の時のバーナード・ライト(Kbd)は12歳だったんだよ(笑)。
O:あなたが、ファンクというか、ポップ・フュージョン・ベーシストということは、もう誰もが知っています。でも、僕がベースを教えている生徒が何人かいるんですが、あなたがビ・バップをあれほどまでに弾けるということを、彼らのほとんどが知らないと思うんです。
M:当時、ニューヨークでは誰でも知っていたよ。いつも弾いていたから。
マッコイ・ターナー(P)なんかとも演っていたんだけどね。
O:そうだ、あなたに見せたいものがあるんです! 僕のバイブルです(笑)。
これ(添付の写真、そのときにマーカスのサインをいただきました!)、覚えていますか? あなたがマッコイと演っているアルバムでのものなんですけれども、このソロは本当に美しい!
M:(譜面を見て、口ずさみながら)レコード、持ってる?
O:いや、テープだけ。タイトルは「ダブル・トリオ」ですよね。
M:実際の話、ずっとポップ&ファンクとジャズの両方を演ってきたんだ。
’84年から’85年くらいまでは。ジャズの方が多いときもあれば、ファンクが多いときもあった。
ポップ・ミュージックを始めてからは、リスナーの数が違うから、僕はファンク・ベーシストということになっていったんだ。
O:でもあなたのソロのアプローチを聴いていると、ビ・バップを始めとする、ジャズの勉強が本当に重要だと感じました。
たとえ純粋なファンクを演っていても、他の、いわゆるファンク一本槍なベーシスト達とは明らかに違う!
M:そうなんだ。昔、ダンス・クラブでジャズ・ファンクを演っていた頃、サックス、トランペット、ピアノと、みんなソロをバリバリ弾いていくんだけれど、ベースにソロが回ってきたときに、同じことは演りたくなかった。僕はストレートな、クール・ファンクを演りたかったんだ。
対比させるためにもね。
ベースは最後にソロが回ってくることが多いし、おまけにダンス・ミュージックだと、僕が同じようにジャズっぽいソロを演るとグルーブが消えて、みんなのダンスが止まってしまう。
だから、僕はファンクという音楽を壊さないために自分を薄めることにした。
自分の歌いたいラインなどはひとまず抑えて、グルーブをキープさせることを優先した。
でもいつも思っていた、よく聴けば、他のベーシストとは違うことがわかってもらえるはずだってね。
ビ・バップが僕の可能性を広げてくれたことは間違いない。
何を弾いたら良いのかとか、コードがわからないなんていう状況に陥ったことはただの一度もない。
ソロを弾けって言われたら、大抵は何か創り出せる。その意味では、自信がついたね。
ブランフォード・マルサリス(Sax)は、「ジャズは最も難しい音楽だ」って言う。
最も難しいものが最も素晴らしいとは限らないけれども、とにかく難しいってことは絶対に言える。
トーン、テクニック、イマジネーション、それとリフレックス(反射作用、素早く反応して行動する能力)が要求される。
クラシックではリフレックスは要らない。練習したものを演奏で出せばいい。
だけどジャズは、いつでも反応できるように練習しなければならない。ボクサーが反応するようにね。だから、ジャズは最高に難しい音楽なんだ。
だけど演奏できるようになれば、凄い道具を持つようになる。
もっとも、ジャズを演っていると思っているけど、グルーブしていないプレーヤーっていうのは多いんだよね。ジャズが生まれた頃、’30年代、’40年代…、当時はグルーブがあった。
みんなノっていたよ!
ああ、さっきの譜面、ちょっと見せて。(譜面のフレーズを口ずさむ)
O:そこの部分が、凄く速いんですよね。僕のコピーで合っているのか間違っているのか、ちょっと自信がないんですけれども。
M:いや、合ってるよ、うん。
そういえば、ジャコ・パストリアスのソロを知っているだろ? フーッ、一体どうやって即興であんなソロを考えつくんだろう! だから思ったんだよ。ビ・バップを演んなきゃなって。
そうすれば、彼らが何を演っているのかがわかるかもしれないって。
O:そうそう、ジャコの演奏を聴いたときも、あなたの演奏を聴いたときも、そこがポイントだって思ったんです。
ジャコもやっぱりファンクやモータウン風のグルーブを演っているんだけれども、もう一つの重要なファクターとして、ビ・バップというのがある。
だから、「ジャズライフ」を読んでいるような、こういった内容に興味がある若いベーシスト達や、「どうすればマーカスのように弾けるのか?」って思っているベーシスト達に、そういったことを是非教えてあげたいんですよね。
M:誰でもいろんな要素が組み合わさっている。
僕の場合はソウルの世界での仕事が多くて、R&Bのレコードを作っていた。
言ってみれば、あの世界にすっぽりはまっていた。
ジャコも若い頃には、R&Bのバンドにいてレコードも作っていたけれども、クビになっちゃったからね(笑)。わかるだろ?
凄く薄いトーンで、なのに主調が強かったから、しばらくすると、R&Bのフィールドから出ていかざるを得なかったんだ。ま、それが良かったんだけどね。そこから〝ジャコ〟になったわけだから。
だけど僕は生まれた環境もあって、ジャコよりももっとR&Bにハマったんだ。
O:確かあなたはHPのなかで、「スタイルを作るのは戦争みたいなものだ」と答えているところがあったと思うんですが、それが凄く印象的というか、本当に強く共感したんです。
M:多分、ウェイン・ショーター(Sax)が言ったんだと思う。まさにその通り。
本当に多くのプレーヤーがいて、みんなそれぞれに自分のスタイルを持っている。
(注★)例えば、僕がジャズクラブにフラッと入っていくとする。僕がいることに気づくと、ステージのベース・プレーヤーが、それまで使っていたフレットレスベースを置いて、フレッテドに持ち替え、スラップを始めたりする(笑)。それは僕のスタイルでフレットレスを弾いていたからなんだ。僕も昔は他人のスタイルでベースを弾いていたことがあるから、そのベース・プレーヤーの気持ちがわかる。
でも今はもう、そういうことは出来ないよ。自分自身でなければならないから。
僕もガキの頃はジャコそっくりに弾いていた。実際、フレッテッドベースは2年間、弾かなかったんだ。ウィ~~ン、ウァ~~ンばっかり(笑)。
ギグを始め、他のミュージシャン達も、ジャコっぽく弾くと喜ぶんだけれど、長い目で見ると「それじゃダメだろう」って思うようになった。
O:以前、ビクター・ベイリーに聞いたことがあるんですけれども、彼があなたの後に渡辺貞夫さんのバンドでプレイした頃、つまり’83年か’84年くらいに彼がニューヨークに住みだした頃だと思うんですけれど、彼はニューヨークでいろんな人から「マーカスのように演ってくれないか?」と要求されることが何度もあったそうです。でも貞夫さんが、「お前のスタイルで演ってくれ」って言ってくれたのが凄く嬉しかったと。
M:ビクターには災難だったね。僕らは友達なんだ。
どっちも同じような細い顔をしてるし(笑)。
彼は辛かったに違いない。僕らもみんな同じような経験があるからわかるよ。
若いときはそれでもいいけれど、歳を取ると自分自身の音楽を演るようになる。そのうち、理解していない批評家からとやかく言われるようになって、反応の仕方まで指摘される。傷つくよ。
でも自分の音楽を続けていくしかない。
僕がウェインのバンドにいたとき、彼がこき下ろされたことがある。
そのとき、「どう思う?」って彼に聞いたら、「戦争だ」って言うんだよ。
O:うん、うん。でもこれから世に出てくる人は大変ですね、自分の含めてだけれど(笑)。
M:確かにそう。
O:最後に新しいベースについて聞かせてください。
M:このベースはまだ、音楽的に満足できるところまで使い込んではいない。でも美しいベースだよ。
O:いつもメインで使っているフェンダーのジャズベースは、そろそろメインテナンスが必要だっておっしゃってましたよね?
M:ああ、フレットを打ち直さなきゃいけないし、ネックもちょっと曲がっているし、しょっちゅうこうやっているから(と、ペグをぐるぐる回すまねをする)ダメなんだよね。
日本のリペアマンは技術が優れているから、来日するたびに見てもらうんだ。
O:ちょっと触って良いですか?
M:普通のベースだよ(笑)。どう? 予想と違った?
O:僕のとほとんど同じくらいのセッティングだ!
M:ジャコのベースを弾いたことがあるんだけど、弦高が凄く高いんだ。指が痛くなったよ。
でも弦高が低すぎるといい音が出ないから、ある程度の弦高は保たないといけない。
毎晩ずっと演奏しているから、指の皮膚のことを考えて、今は少し低めの弦高にしているけど。
このところ、毎日演奏の後は指に痛みが残る。大阪、東京と、ずっと演奏してきたからね。
O:今日はお疲れのところ、本当にありがとうございました!
と、まあ、こんな対談でした。
で、途中の「注★」の話なんですが、今読み返して、どうも納得できないんですね。
本当なら、「ステージのベース・プレーヤーはフレッテッドでスラップするのをやめて、フレットレスに持ち替える」んだろうと思うんです。
ちゃんと書くと、「例えば、僕がジャズクラブにフラッと入っていくとする。僕がいることに気づくと、ステージのベース・プレーヤーが、それまで使っていたフレッテッドベースを置いて、フレットレスに持ち替え、スラップを止める(笑)。それは僕のスタイルでフレッテッドを弾いていたからなんだ。僕も昔は他人のスタイルでベースを弾いていたことがあるから、そのベース・プレーヤーの気持ちがわかる。」となると思うんですけどね。
さすがに本人の目の前で「マーカスそっくりさんである」というような演奏をするのは恥ずかしいですからね。
ま、しかしここはマーカスの発言なんで、勝手にいじることはやめておきます。
いずれにしても、スタイルに関しての面白いお話でしたね。
僕も久しぶりに読み返して、また参考になりました。
さて、そして冒頭で触れた、ロン・カーターとマーカスへの質問について。
まずマイルスから受けたアドバイスという点についてですが、ロンは「アドバイスはほとんどなかった。それよりも当時の政治の状況や社会について、良く話したなぁ。」とおっしゃてました。
一方マーカスが心に残ったアドバイスとして教えてくれた話は、本当に参考になります。
彼が受けたアドバイスはこうです:
「いいか、マーカス。大事なことはサウンドだ。一音出して、それが誰であるかわかるような、そんなサウンド、トーンを持て。それが全てだ!」
素晴らしいですね。
まさしく、レジェンドという人はみんなそうです。マイルスもそう、マーカスもそう。
一音聞くと、それがその人自身であるか、少なくともその人のそっくりさんであることがすぐにわかります。ジャコもそうですね。
フレーズよりもグルーブよりも、まずはサウンド=トーンであるということ。
これは本当に大事です。
そしてもう一つの質問、「グルーブとはなんぞや?」について。
ロンはすかさず、「それはフィーリングであり、リズムの間のスペースだ!」と答えてくれました。
これはかなり端折ったであろう答えなんで、それがどういう意味かを理解するのは、こちら側でしっかり考えなければならない答えですね。
一方マーカスはこんな風に、具体的に答えていました。
「アフリカの田舎の村祭りを見たことがあるかい?
その祭りでは、彼らは三日三晩くらい踊り続ける。それも同じテンポの同じパターンで。
するとあるときからみんなトランス状態に入るんだ。
それがまさにグルーブ! グルーブはそうやって生まれるんだよ!」
これも見事な答えですね。
僕の新しい本(2020年10月22日発売)にも、まるまる一章かけて、このリズムとグルーブについて、僕なりの答えを書いています。ロンやマーカスの答えとは、完全には一致しませんが、それなりに共通する部分もあります。是非読んでみてください。
ま、それはさておき、憧れのマーカスとの初の対談ですが、この後もまた別の機会にインタビューすることが出来ました。こんな素晴らしいアーテシストとこんな縁を持つことが出来たのは本当に光栄でした。

ということで、次回は2001年、再度マーカスと行った対談です。
ご期待ください。

CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

オサム・ワールド、ここに完結!
日本のトップミュージシャンたちが一同に集結した珠玉のアルバム CODA、完成しました。
今回プロデュース及び全曲の作曲・編曲・作詞を納浩一が担当
1998年のソロ作品「三色の虹」を更に純化、進化させた、オサム・ワールドを是非堪能ください!