リンカーン・ゴーインズとの対談記事 ジャズライフ誌掲載分

今回のインタビューは、ジャズライフ誌1998年6月号に掲載された、リンカーン・ゴーインズへのインタビューです。
この年の5月、マイク・スターンのブルーノート東京の公演での来日の際に行ったものです。

では、リンカーンについて、彼の経歴などを紹介しておきましょう。
1953年生まれ、カリフォルニアのオークランド出身。
16歳でベースをはじめ、17歳の時に、当時住んでいたカナダのバンクーバーで、バンクーバー交響楽団の首席コントラバス奏者からアコースティックベースのレッスンを受けたそうです。
24歳の時にニューヨークに出てからは、様々なミュージシャンと共演を重ねていっています。
その辺りの詳しい流れは、彼のHPに、日本語でも載っていますので、是非そちらも参考にしてみてください。

リンカーン・ゴーインズのHPアドレス
https://www.lincolngoines.com/int-japanese.shtml

僕がボストンにいた1984~88年ころは、このインタビューにもあるように、ニューヨークにも様々なフュージョン系のライブハウスがあり、そこで演奏する彼を何度か見ました。
しかし彼はフュージョンのみならず、ラテン系の音楽も得意で、彼の書いた「Afro-Cuban Grooves Bass and Drums」という、ラテン系グルーブの教則本は、僕も勉強しました。
そんな、ラテン系のグルーブの話や、ニューヨークのフュージョンシーンの話、生徒へのグルーブの教え方などなど、様々な話題に関してのインタビューです。
そういえば、先ほど紹介した彼のHPに、33インチのショートスケールのフォデラに関しての記事があります。
このインタビューをした直後に、フォデラに製作してもらったようです。
確かに、彼はアメリカ人としてはそんなに大きくなくて、身長も僕とかわらないんじゃないか、くらいの小柄な方。
きっと僕と同じようなことを悩んでいたんでしょうね。
その記事を読めば、体格のない人が、33インチのベースを手にするメリットが書いてありますが、僕も全く同感です。
そんなこともあってか、今回のインタビューを再読してみて、彼とは結構、同じようなことを考えていたんだということを、改めて感じました。
そんなリンカーンへのインタビュー、読んでみてください。

納(以下O):ボストンに住んでいたとき、ニューヨークに行ってあなたのステージを何度か見ました。確か、セヴンス・アベニュー・サウスだったかな。
リンカーン(以下L):それはかなり前の話だね。
O:僕が見たときは、ボブ・ミンツァー(サックス奏者)のバンドで演奏されてました。
ところで、あなたはラテンやキューバ系のミュージシャンとよく演奏されているように思うのですが、元々ラテン系の血が入っているんですか?
L:僕はニューヨークに住んでいて、ご存じのようにニューヨークはラテン・ミュージックの中心地だから、多くのラテン系ミュージシャンが集まってくる。
僕は人種的にはラテン系ではないけれども、昔からラテン・ミュージックが好きだったこともあって、自然と彼らと一緒に演奏するようになって、いろいろと教わったんだ。
O:ラテン・ミュージックといっても、例えばブラジルアンとキューバンでは全然違うように、様々なタイプがありますよね。さらに言えば、同じブラジルのサンバやサルサでも、現地のそれと、ニューヨーク・スタイルでは、また違うでしょうし。その辺りはどのように習得されたんですか?
L:その国のミュージシャン達と一緒に演奏することだね。
例えば僕は、タニア・マリア(ブラジル出身のボーカル兼キーボード奏者)とよく演奏した。
O:ミシェル・カミロ(ドミニカ出身のピアニスト)ともよく演奏されていますよね。
L:うん。ドミニカなんで、タニアよりはもっとアフロ・カリビアンな音楽だよね。
そう、確かにリズムの感じは全然違う。
O:ところで、あなたはアコースティックベースも演奏されますよね。
L;うん。15,6歳の頃にエレクトリックベース始めて、17歳の誕生日に、父がバンクーバー交響楽団の主席コントラバス奏者のレッスンをプレゼントしてくれたんだ。
弓を使ったクラシックのレッスンで、頑張ったんだけれど、あまり好きになれなかった。
ちょうどその頃はジャズを聴き始めていて、ジミー・ギャリソンやスコット・ラファロを知って、ピチカートによるアコースティックベースの音が好きになっていたんだ。
これがやりたいってね。
O:ではそのころからずっとアコースティックベースを演奏されているんですね。
L:うん。17歳の時に楽器店に行って買って、以来ずっと、ちょこちょことは弾いてきた。
でもほとんどはエレクトリックベースが中心だった。
あとスタジオワークやレッスンでも、少しはアコースティックベースを使っている。メソッドを練習したことがあるので、多少は教えられるから。
O:どんなメソッドですか?
L:クラシックのね。弓を使ってスケールを弾いたりというレッスン。
僕はジャーマン・スタイル(弓の持ち方。フレンチスタイルという、バイオリンと同じ持ち方もある)で、テキストは「シマンドル」なんかを使うかな。
O:ああ、シマンドルですね!
L:知ってる? あれ、死ぬほど退屈だよね!
でもとにかく勉強したから、メソッドはわかっているので、アコースティックベースを勉強したいっていう人には教えることが出来るんだ。
O:レッスンは学校で? それともプライベート?
L:学校だ。ジョン・パティトゥッチがニューヨークで「ベース・コレクティブ」という学校を始めてね、そこで教えている。
ドラム・コレクティブというドラム・スクールの付属校として出来たので、同じビルに入っている。
O:他にはどんな人が教えているんですか?
L:ジョン・パティトゥッチが主任教授で、僕やビクター・ベイリーなどが教えているんだ。
それから、スペシャル・クリニックも開いていて、ゲストとして、デイブ・ホランドやビクター・ウッテンなんかも来てくれる! 他にも、ニューヨークの良いミュージシャンが教えている。
O:あなたは、どのドラマーとのコンビネーションが一番好きですか?
何人挙げてもらってもかまわないんですけど。
例えば、以前ジョン・パテトゥイッチにインタビューしたときは、デイブ・ウェッケルとビニー・カリウタという二人のドラマーを、彼のリーダーアルバムに起用したその理由や、またその二人のドラマーとしての違いなんかを訊いたんですが。
L:僕もその二人とは共演したことがあるけれど、実に面白いスタイルだよね。凄くテクニックがあるし、いろいろなことをやりながらも、なおかつグルーブする。
一緒に演奏してとてもエンジョイ出来たよ。
それから、デニス・チェンバースやスティーブ・フェローンも、一緒に演奏していて、エンジョイ出来る。
O:デニスとはマイク・スターンのバンドで一緒ですよね?
L:そう。(1998年)5月のブルーノート東京で、デニスとマイクと一緒にやってるよ。
デニスはご機嫌だよ! なんていうか、ドカッと幅の広い道を走っている感じっていうのかな。
ベーシストにとって、グルーブのポイントをいろいろな位置に持って行けるっていうのは凄く演奏していて気持ちいいんだ。
走ったりもたったりするというのではなく、ビートのオントップで演奏したり、ビハインドで演奏したりすることが出来るってこと。
デニスはどっしりとしていて揺るぎがないから、タイム感の変化でフレイズに色を付けられるんだ。それが、僕がベースでやりたいことだし、他のベーシストの演奏でも、そこが聴きたい。
レイ・ブラウンやポール・チェンバース、ロン・カーターのような偉大なアップライトベース・プレーヤーはそういうフレイズを弾く。
それにジャコもだ。彼はタイム感がとても良いから、タイムを、どこかポイントを決めて置いているということが、聴いていてよく判る。チャーリー・ヘイデンもそうだね。
O:スティーブ・フェローンとは、何のセッションで一緒だったんですか?
L:彼のバンド。ドラム・フェスティバルに出演したんだ。彼もデニス同様、懐の深いリズムとビートを持っているよね。
O:今お話を伺ったドラマーとは、死ぬまでに一度、一緒にやってみたいですね!
ところで、いま、ニューヨークの状況はどんな感じなんでしょう?
先日、ビクター・ベイリーにも同じ質問をしたんですが、彼はもうニューヨークを離れたと言ってました。もう仕事が全然なくて、ストレート・アヘッドなジャズばかりやっているヤング・ライオンズ(若手のジャズミュージシャン)達が全ての仕事を持って行ってしまっているって。
音楽的にも面白くないから離れるって。
L:確かにね。けれど、ビクターは戻ってくるね! 彼のことはよく知っているから。
なんと言っても、ニューヨークは音楽の最大の発信地だ。ごく一部で、そういうヤング・ライオンズやウィントン・マルサリス系の音楽が幅をきかせているかもしれないが、僕自身、それで影響を受けるっていう感じはないんだ。
とにかく、ありとあらゆる種類の音楽が混在しているから、いろいろ揺れはあるだろうけれども、ほどほどのところで揺れ戻しがくると思う。
一つの都市としては、多すぎるほどの音楽があるけれども、たくさんの人が集まってくるから、ニューヨークにいれば、いろんなバンドから誘われる機会もあるわけだし、そこを拠点として、日本をはじめ、世界中にツアーにいけるわけだ。
残念ながら、世界にはアメリカより文化意識の高い国がいくつもあるからね。
O:たぶん、あなたの場合は自分の守備範囲の中に、ラテンというものがしっかりあるから、ニューヨークではそのラテン系ミュージックの本流があって、そのフィールドでやっていけると言うことなんでしょうね。
でもビクターの場合、彼はフュージョン系という位置にいるから、結構難しいところがあるんじゃないかなと思うんです。
僕がニューヨークによく行っていて頃、そう、セブンス・アヴェニュー・サウスがまだあった頃は、フュージョンというジャンルが一番活気のあった時期だったと思います。
それがその後は衰退の一途。
いま、ステップス・アヘッドが再結成したりしているけど、たとえばオーディエンスの熱気とか反応といった面ではどうなんでしょう?
L:別にニューヨークがフュージョンの本拠地ってことはないと思う。
世界がマーケットになっているし、日本、アジア、ヨーロッパ、南米などの方がポピュラーかもしれない。
ただニューヨークで演奏すると一番目立つってことはあるだろうね。
ジョン・マクラフリンなど、最も偉大なフュージョン系アーティストの多くはニューヨークに住んでいないし、逆にヨーロッパに住んでいたジョー・ザビヌルは、つい最近ニューヨークに帰ってきたし。いまはそんなに関係ないんじゃないかな。
ただ、ニューヨークのような音楽的な大都市に住んでいると人目につきやすいから、「今度、あいつを使おう」っていうようなことが起こりやすいといえる。
それに、音楽は人次第!
マイク・スターン、ジョン・マクラフリン、ジョー・ザビヌルのようなアーティストになれば、健康でさえあれば、どんな音楽をやっていようとも、またどこに住んでいようとも、必ずファンはいるはずだ。僕もその一人だったら良いけどね!
O:次に機材のことを少し伺いたいと思います。
L:メインベースはフォデラの5弦で、1ピックアップ仕様のもの。
O:アンソニー・ジャクソン・モデルの6弦ってことですか?
L:まあ、そうかな。ピックアップが一番いいサウンドを出す場所を自分で探して、それに合わせて作ってもらったんだ。今持っているから見せよう(といって、楽器を出してくれたようです)。
一番いい音がするアングルにピックアップを付けたんだ。とてもシンプルだろ?
O:僕も古いタイプの6弦のフォデラを持っています。(これは僕が最も最初に手にした、パッシブの6弦アンソニー・ジャクソン・モデルのこと)それもいい音がします。
一度、最近のアンソニー・ジャクソン・モデルを弾いたことがあるんですけれど、それはボリュームもトーンコントロールも、さらにはフレットのポジション・マークもなにも付いていないので、全く弾けませんでした!
L:ああ、あれは僕も弾けない。あれを弾ける人は、アンソニー以外にはいないと思うよ!
あれを弾きこなすには、まず椅子にどっかりと腰をおろして…。僕は遠慮するね!
O:でもフォデラは、信じられないほど重くて、肩がおかしくなりませんか?
L:それは6弦だからじゃないかな? 材のせいもあるかもしれない。
僕の楽器は木のみ。バッテリーもエフェクター類も付いてないからね。
セイモア・ダンカンのパッシブのピックアップだけなんだ。
O:弦は何を使用してますか?
L:リチャード・ココだ。
O:アンプは何ですか?
L:ウォルターウッズを使っている。スピーカーはエプファニの12インチ、400Wを2発組み合わせて、2段積みにしている。
O:エフェクターは使わないんですか?
L:使わないけど、たまに真空管のディレクトボックスを使うよ。運ぶ気になったときはね!
O:今後の予定を教えてください。
L:マイク・スターンとの、この日本のブルーノート公演が終われば、ヨーロッパ・ツアーがある。
O:最後に、読者の参考になるように、どういったことに気をつけていつもベースをプレイしているのかお伺いしたいのですが。
L:いつもモーションのことを考えている。モーションを作ること、グルーブを出すこと。
ベーシストは外交官で、様々なリズムを結びつけてモーションを創り出す。
もちろん、ベースで美しいサウンドを出すことにも務めている。ベースの音は美しいから。
それと、メロディでも貢献できる。どんなベースでも、メロディを作りながら、同時にベースを弾く音が出来るんだ。
O:学校で教えているようなときに、グルーブのウマイ教え方っていうのはありますか?
L:まずはグルーブが一番大切だって言う。それと、大抵はジャズを基本として練習しろって言うね。その生徒のやりたい音楽がジャズと関係ないとしても、だ。
例えば、2拍目と4拍目にメトロノームを鳴らしながらラインを弾かせるときに、「もっとプッシュして」とか、「スローダウンしろ」「リラックスして」などなどとアドバイスするんだ。
タイムの置き所というのが、ベーシストには一番大事なんだ。
O:そうですね。僕も学校で教えてますが、グルーブは一番大事なのに、いざ教えるとなると、メトロノームを2拍、4拍に鳴らしてっていうような練習しかないですからね。
L:結局はドラマーと一緒に演奏する、バンドで演奏するってことに代わるものはないんだよね。
メトロノームなんかでグルーブを一人で練習することももちろん大切だけれど、バンドで練習すれば、それぞれの楽器間の緊張をどのように計り、保つかがわかってくる。
外に出てバンドの中で演奏するときが、本当のテストなんだ。
当然、能力のある人とそうでない人っていうこともあるしね。
だから僕もできる限りのことは教えるし、習う側も出来るだけのことをして、その後の結果は人それぞれってことかな。
O:確かに、最後は経験しかないですね。
L:教えるのは、ときには本当に難しい。エネルギー使うよ。
でもこれもミュージシャンの一部だ。レッスンから、自分も何かを学んで向上していくってことかな。
こんなインタビューでした。
パッシブで1ピックアップ、ボリュームもトーンコントロールも付けていないなんて、まさにこだわりの証ですね。
ベースは、やはり指でその全てをコントロールするんだという考えは大好きです。
僕はさすがにそこまでの境地には至っていませんが。
ということで、次回はジャズライフ誌の1998年12月号、マーカス・ミラーとの対談です。
ご期待ください!

CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

オサム・ワールド、ここに完結!
日本のトップミュージシャンたちが一同に集結した珠玉のアルバム CODA、完成しました。
今回プロデュース及び全曲の作曲・編曲・作詞を納浩一が担当
1998年のソロ作品「三色の虹」を更に純化、進化させた、オサム・ワールドを是非堪能ください!