
こんな時だからこそ、楽しい音楽の話をしましょう!
ということで、インターネットサロン、第12回の四方山話は題して、「キューバ良いとこ、一度はおいで!」です。
時は2016年3月、まだアメリカがオバマ政権だったとき、そう、世界はまだ今ほどひどいものではありませんでした。
分断や格差の壁を越え、多くの人が、すくなくともリベラルの多くの人は、この世は良い方向 に向かっているという夢を持っていたときでした。
そして日本でも、時のオバマ大統領が広島を訪問し、世の中から核兵器が、なくならないまでも、減少する方向に進むのではないかという夢を、多くの人がいだいた時でした。
今から思うと、なんてはかない夢だったんでしょう。
それはさておき、そんななかで、その前年の2015年、長らく国交を断絶していたアメリカとキューバが、その国交を1961年のキューバ危機以来、54年ぶりに回復したのでした。
それはとても良い状況の変化に思えたのですが、その一方で、、キューバのアメリカ化が一気に進んでしまい、古き良き時代の趣を残したキューバの状況が激変するのではないかとも心配されました。
僕もそう感じたので、「とにかく一度キューバに行ってみたい。しかも激変してしまう前のキューバを見ておきたい!」ということで、2016年3月に、キューバに行くことに決めました。
僕のキューバ旅行の日程は、3月14日から4日ほどだったのですが、その旅行を決めた段階ではまだ、オバマのキューバ訪問は決まっていませんでした。
結局は、オバマ元大統領は2016年3月21日からキューバを訪問するということになったのですが、それはなんと僕が訪れる数日後!
まさかこんなタイミングになろうとは! 本当にびっくりでした。
そうそう、オバマが来る直前、ローリング・ストーンズも初キューバ公演をするとかいってましたね。
そんな状況を含め、ではなぜキューバに行きたかったかをお話ししておきましょう。
ブラジルに行ったお話は、第7回の四方山話、「ブラジルでサンバについて考えた!」のところでお話ししました。
そこではブラジルで見た・聞いた・感じた音楽事情を書いています。
ブラジル音楽でももっとも有名な、サンバやボサノバは、いわゆるジャズの中ではもう普通に演奏されるリズムなんですが、実はそのリズムをどこまで判っているかということに関して、自分の中では大きな疑問がありました。
まあ、最初にいったのは2014年のサッカーブラジル大会観戦だったのですが、まさかその翌年に、今度は演奏の仕事で行くとは思っていませんでした。
その、2年連続のブラジル旅行で、判ったというほどではありませんが、ブラジルという国の奥深さを改めて感じ取りましたし、サンバやボサノバ、あるいはブラジル由来のリズムがどんな雰囲気の中で演奏されているのかということも、ぼんやりと肌で感じることが出来ました。
この、肌で感じるというのは、音楽では実に重要なことです。
日本人は、ともすれば頭で理解しようとしがちですが、リズムや音楽は、やはり五感で感じないと、その本当のところは理解出来ないように思います。
これは食べ物の食感や味、臭いといったものと同じかと思います。
その匂いで、外国人(日本人でも)には食べられないものの代表格である、納豆やくさやの味や匂いを、言葉で説明しようとしても、臭ったことも食べたこともない人には全く伝わりませんよね?
それと同じで、いくら「サンバはね」とか「ボサノバはね」と説明をしてもらっても、日本にいて頭で理解することと、現地で聞くこと、そして現地でそこのミュージシャンが演奏するそのグルーブ感を感じることは全く違います。
「グルーブは文化である=グルーブはある集団が共有する美意識から生まれる」という僕の持論は、この辺りから来ています。
そんなことで、同じように、キューバのリズム、特にサルサというものが、どういった雰囲気の人たちがどんな気分で演奏しているのかを知りたくて、キューバに行くことを決めた次第です。
というのも、サンバやボサノバと同じく、サルサのリズムも、今や、特にジャズ・フュージョン系ベーシストにとっては必須アイテム、知っていて同然というようなものになってきた感があるからです。
もしろん、ブラジルに行ったから、キューバに行ったから、すべてが判るというようなたやすいものではありませんが、何事も知っていて損な事はありません。経験とはそういうものかと思いますし、この目、この耳、この鼻、この肌で感じてみないと判らないことはいっぱいあります。
そんなことで、キューバに行こうと思い立った次第です。
さて前置きが長くなりましたが、ではそのキューバ旅行のお話に進みましょう。
まず入国には、旅行目的でも、ビザではないですが、ツーリストカードというのが必要です。
さすがに社会主義の国、ヨーロッパや東南アジアを観光するのとはちょっと違いますね。
そのために、申請と受け取りのための2回、都内のキューバ大使館横にある小さな申請所に出向かなければなりません。まあ、旅行代理店が代行してくれたりもするのですが、こんなことは自分でやった方が面白いですから。
そして、キューバまでの移動がまた大変。
僕が行ったときは、アメリカとキューバの国交がそこまで正常化していなかったので、アメリカ経由では入ることが出来ませんでした。そのため、カナダのトロント経由で行きました。
ブラジルよりは近いといっても地球の裏側、はやり1日以上はかかったように思います。
実際、滞在の日数は3日ほどしかなく、とにかくキューバ音楽をたくさん聴きたかったし、チェ・ゲバラのこともいろいろ知りたかったので、、もっぱらハバナの市内観光に明け暮れました。
(そうそう、かの文豪、ヘミングウェイがハバナで暮らしたおうちも素敵でしたし、港に面したカフェの、彼のお決まりの席から見える港の景色も、本当に素敵でした!)
写真は、市内のそこここで見ることが出来るクラシックカーの数々。
なんでも、アメリカと国交を断然したその直前は、アメリカの自動車産業の黄金期でもあり、写真のような、その当時の高級車がキューバにもたくさん入ってきていたそうです。
ところが、国交を断絶して共産圏の仲間入りをしたキューバには、もうまともな車が全く入ってこなかったようです。
でもおしゃれ好きの国民性のせいでしょうか、そのときあったアメ車を、さらにこうやってピカピカに磨いて維持するという文化が出来たそうです。
「じゃあ、部品はどうやって当時のものを入手しているの?」という疑問が浮かびますよね?
でも内部の部品は、実は新たに作っているそうです。
ですので、外観は当時のアメ車ですが、内部は結構自前のもので対応しているそうです。
でも、こうやって、部品がないなら自分たちで造ってしまおうというのは、新しいものを生み出す上では大事な考え方なのかもしれません。
それは音楽にも言えるようです。
特に楽器はそうですね。
ということで、動画をみてください。
その中には、ストリートで演奏する2人のおじさんに、通りを歩く青年がパーカッションで飛び入りでしている動画があるかと思います。
その中のおじさんの一人は、見たこともないような、パーカッションとも弦楽器ともいえるような楽器を弾いていますよね?
これなんて、きっとおじさんが自分で作ったんだろうというのが一目瞭然です。
でも楽器って、そして音楽ってこれで出来るんですよね。何も何十万も何百万もする楽器だからいい音楽が出来るというものでもないと思います。
大事なことは、何を奏でるか、なにを伝えるか、でしょう。
そういった想いのない音楽からは、「ああ、あの人の楽器、高そう!」というメッセージしか伝わらないのかもしれませんね。
ハバナ市内の目抜き通りでは、数メートルおきにカフェやレストランがあり、そのどの店にも、ほとんどと言って良いほど、生バンドが入っています。
動画は、そんなカフェでのライブの模様です。
とはいえ、ごらんの通り、ステージが特にあるわけではなく、スペースが空いているところに(というか、1軒では、こちらもご覧の通り、そんなスペースすらなかったのですが)勝手にミュージシャンが陣取って、ご機嫌なラテン音楽を演奏しています。
もう本当に、素敵な通りでした!
音楽好きにはたまらない街でした!
で、どんな音楽をやっているかというと、キューバといえばサルサと思いがちですが、もちろんそれだけではありません。どちらかというと、なんともフォーキッシュで牧歌的な音楽のほうが多かったように思います。
サルサというのは、どうしても、ホーンセクションやピアノといった大がかりな楽器や設備が必要となる事が多いようで、こういった小さなカフェやバー、レストランには向いていないようです。
そんなことで、本当に最小限の楽器で、最小限のシステムで演奏できる音楽を奏でていいようでした。
でも、それこそが、彼らにとっての音楽!
手を伸ばせばそこに楽器(といえるかどうか、という代物もありますが)があり、ふたり集まれば楽しい音楽が始まります。
そこに、アンプやPAシステムや照明やステージは必要ないんですね。
これこそが、「No music、no life!!」なんでしょう。
キューバとは、そんな、音楽を愛するものにとっては、まさにドリームランドのようでした。
そしてもう一つの動画は、夜のナイトクラブ。
こちらの方は、本場のサルサ、そう、まさに映像にあるような、大がかりなステージでゴージャスな雰囲気の味わえる場所を探して、夜に行ってみました。
さすが、本場のサルサって感じのご機嫌なバンド。
そして僕の周りではみんな踊っています。まるでブラジルでのサンバ・バーと同じ雰囲気でした。
我が国でこんな風景が見られるとは到底思えません。本当にうらやましい光景でした。
そうそう、キューバは、すくなくとも当時はとても治安が良かったです。
この夜も、ホテルからこのクラブまで、一人で歩いて行ったのですが、ホテルを出た直後は、町中を歩く人は、当然ですが現地の黒人ばかりなので、僕のボストンでの記憶がよみがえり、本当に怖い感じがしました。
僕はバークリー時代、「用がなければ絶対近づくな!」といわれた黒人街のバーで、毎週末、演奏の仕事をしていました。
当時のアメリカは不況のどん底で、治安の悪さも最悪。
いまは観光地と化したあのNYのタイムズスクエアですら、10分おきにパトカーのサイレントが鳴り響き、通りには走り回る警官の姿があったような、そんな状況。
ハーレムに至っては、絶対にいってはいけないという場所でした。
しかもボストンは、犯罪発生率では全米1位というような街だったのですが、そこの黒人街です。
大阪弁で言えば、「めっちゃ、やばいやん!」というような場所です。
もちろん、通りを歩く人は黒人ばかり。バーの中も黒人ばかり。
いや~、怖かったです。
その記憶があるだけに、黒人ばかりがいる通りというのは、差別はいけませんが、僕のDNAに、「これはもっとも危険な状況!」とインプットされてしまっていたんですね。
話が逸れましたが、そんな僕にとって、ハバナの夜の通りは、治安は良いとは聞いていたものの、はやり緊張感が走るものでした。
でも10分も歩くと、その緊張感も徐々にほぐれていきました。
というのも、通りを歩く人たちがみんな、陽気なんですね。ニコニコしている。
80年代のアメリカの黒人街は、みんな目がギラギラしていて、殺気立っているんです。
誰一人、ニコニコして夜の街を歩いている人はいません。それくらいの殺気は、こんな僕でも判りました。
やはり、貧困なのか、あるいは経済的にゆとりがあるかという、その人が置かれた経済状況が、そういうところに出るんでしょうね。
キューバの人たちは、社会主義国ですから、皆その生活を政府が保証しています。
経済はもとより、学業も医療も、すべて不安がない。
しかも、最初にもいいましたが、当時はアメリカとの国交も回復しそうだということで、アメリカとの貿易や経済支援、観光客などの期待もあって、みんな期待と希望があったんだろうと思います。
そんなこんなで、何の問題もなくクラブに到着して、心置きなくサルサを楽しみ、夜遅くにホテルに戻ることが出来ました。
2020年春のいま、状況はどうなっているか判りません。
あのトランプ大統領は、せっかくの国交の回復も、2017年にまた制限を強化したとも聞きます。
先ほどネットで調べたら、ハバナも「夜の外出は気をつけましょう。」とありました。
だとしたら、僕が訪れたときはたまたま良かったのでしょうか?
ま、でも音楽を愛するかの国の国民性は全く変わらないでしょうから、もし機会があれば是非行ってみてください。
ハバナはまさに音楽のドリームランドです。
そこでは、ブラジル、アルゼンチン、南アフリカと共に、「No music, no life!」を体感できますから。