死とは突然やってくるものです。そしてこの歳になると、周りでも知った人が逝ってしまうことが、ぽつぽつと多くなってきてきました。
でもまだ50歳そこそこだったり、場合によっては40歳代。
あまりに若いですよね。ほんと、悲しくなってくるし、悔しかったりもします。

そんなことがある中で、ツイッターでもちょっとつぶやきましたが、先日生徒のレッスンで、その生徒が臼庭潤君の曲を持ってきた時には、何かグッとくるものを感じました。
皆さんの中にもご存じの方がおられるかと思いますが、彼は自殺だったようです。
享年44歳。早すぎますよね。
晩年は何年もご一緒することがなかったので、僕の記憶には、本当に若く音楽に燃え、そのテナーサックスで朗々とブローする彼の姿しかありません。
そういった意味では、自殺という言葉が全くピンと来ないタイプの人だと思っていただけに、晩年にどういうことがあったのか、どんな状態だったのかを、共通の知り合いのミュージシャンから聞くにつれ、なにかミュージシャンの持つ切ない部分を感じずにはいられませんでした。

そんな彼の音楽を、彼を見たこともない若者が、この世に彼無きこの時に、自分の音楽の向上のために取り上げているという状況を目の当たりし、本当に感慨深いものがありました。
彼はもうこの世にいないけれども、彼の音楽はずっと生き続けているんですね。
こんなことって、なかなか他の職業では出来ないことかも知れません。
よほど著名な芸術家や起業家ならいざ知らず。
音楽の持つ素晴らしい一面を、しかと感じたような気がしました。
あの世で臼庭君も、ほんのちょっと、にこっとしているのではないでしょうか?

さて、もう1人の死。
これはもう5年も前になるのですが、塩次伸二さんという、類い希なブルースギタリストが、突然無くなりました。
彼は突然死だったようです。
享年57歳。やはり早すぎます。
その日、本番直前に、一旦ホテルに帰る途中に倒れ、帰らぬ人となられたそうです。
僕は直接は存じ上げていないのですが、大阪生まれ・京都育ちの僕としては、その名を知らぬわけがありません。
京都大学に入って音楽を志した時から、塩次さんの話は、ことあるごとに周辺から聞こえました。

なぜここで彼のことを取り上げるかというと、僕の知り合いのブルースギタリスト兼ボーカリストで、塩次さんのお弟子さんでもある方が、FBで、その死の2週間前のデュオでの演奏の模様をアップされていて、そのお元気な姿とご機嫌なギター演奏に驚いたからです。
「えっ、これが死の2週間前? うそやん!?」
そして、ちょっと気になったので、ネットで検索したら、塩次さんが倒れた日、そのライブハウスに居合わせた方のブログに行き着き、そこに塩次さんの生前のブログでのメッセージが掲載されていました。
そこに書かれてあることには、僕がずっと同じように思っていたことが書かれてありました。

そのブログから引用させて頂きますが、曰く、
「サバイバルゲームは年と共に厳しくなっていくとすると、俺みたいに年輪を重ねて技を磨いて行く職人タイプのプレイヤーは技が磨かれるに連れて仕事が減るという不条理な話になる。」
「音楽で人も自分も幸せになれる、 これが原点で有ることは解っていても、 ライブが立て込んでくると 今日はまあええんと違う・・・とか 、不埒な考えが過ることが無くもない。 しかし手抜きはできない、 かなり疲れていたとしても全力で臨まないと悔いが残る。 空気の振動でいい気持ちになれるのだ。」
「最近、 ギタリストって何れくらい(どんだけー)理解されてるのだろうかと 疑問に思うことがある、いかに素晴らしいアドリブ・即興演奏をしても、 何をやってるのかわからないという会話を小耳にはさんだ時はちよっと悲しい気分である。 まあ肉声と言葉はダイレクトだが、 ギターの持てる力は同等かそれ以上と思っている、 理解されるというか感じてもらうまでやるしかない。」

こうやって読むと、ブルースもジャズも、状況は同じなんですね。
この言葉、同じようなことを僕もいつも感じています。
年輪を重ね、わざを磨いていくと、仕事が減る。
これなんて、まさに今のジャズを取り巻く状況にぴったりなんじゃないでしょうか。
楽器がうまくなって、真剣にジャズに取り組んでいけばいくほど、「なんか難しいことをやっていて良く解らない」といわれ、「もっと聞きやすいやつ、そう、スタンダードとかやってくださいよ!」
こんな要求を何度求められたことか。
あるいは、「こんなんでいいの?」っていうようなクオリティーのライブに、多くのお客さんが来る一方、「こんなに真剣にいい音を追求しているこのライブに、この客数?」といったライブも多いようです。
まあ、それもお客さんの選択ですから文句は言えませんし、そのお客さんがあって成り立つライブですから、集客を求めるお店にも文句は言えません。
でもでも…、と、ここで話を戻すと、堂々巡りになるので止めます。

でもでも、塩次さんの言葉、「 しかし手抜きはできない、 かなり疲れていたとしても全力で臨まないと悔いが残る。 空気の振動でいい気持ちになれるのだ。」が、僕自身の偽らざる気持ちでもあり、またあるべき姿勢だとおもいます。
そうやって多くのジャズメン、いや、ブルースメン(もちろんウィメンも)も頑張られていることと思います。
そして塩次伸二さん、あらためて、素晴らしいミュージシャンだったのだなぁと思います。

そんなことで、今回は若くして他界された二人の素晴らしいミュージシャン、その死からもう数年が経ちますが、彼らの音楽や魂は決してこの世から消えていない、そして僕もそうやって記憶に残り、死後も誰かに聞いてもらえるような音楽を作り続けていきたいと思い、このブログを書いてみました。

死というものは、こうやってブログを書いているこの瞬間にもやってくるかも知れません。
実際、塩次さんのように急に亡くなった方も多く知っています。
僕も身内を突然失ったので、人の生のあっけなさは痛感しています。
そして 死は避けては通れません。
いつか必ず来るであろうその日に向けて、どう生きていくか。
これが本当に大事な事なんだろうと思う今日この頃ですし、そのことを、臼庭君や塩次さんの死を、思いもよらず数年経ってから反芻することになって、あらためて強く感じざるを得ません。

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