ずっと感じる素朴は疑問。
なぜジャズミュージシャンに女性は少ないのでしょう?
特にリズム隊。
いや、ピアニストに優れた人が多くいることはわかっています。
なのにベーシストやドラマー、ギタリストで活躍している人は、少なくともこの日本のジャズシーンではほとんどいないような気がします。
これってなぜ?

僕は山野ビッグバンドコンテストの審査員をしています。
昨今では、多くの大学で、そのメンバーの構成比率が圧倒的に女性の多いというような状況になってきています。(でも上位入賞校は、やっぱり男性が多いようです)
その中には、数年前に審査員賞をとった(確か天理大学だったと思うのですが)、女性だけのリズム隊もあったように、女性の活躍は目覚しいものがあるのに、その先にあると思われるプロの現場では、未だに圧倒的に男性優位な状況かとおもいます。
これって何が原因なんでしょう?

これはひいては、女性の社会進出や政治における議員の比率などでの女性の少なさと、同じ根っこの問題なんじゃないかとおもうのです。

先にも言いましたが、ジャズの世界でもピアニストを始め、ボーカリストにも女性が多いです。サックス奏者などの管楽器にもそこそこの数の、いいプレーヤーがでてきました。
でもやっぱりリズム隊は少ないですね。なんでなんだろう?

確かにリズム隊は地味です。スターには成れません。
でもそれが理由? 女性のすべてが、お姫様になりたいという志向の人ばかりでないことは百も承知しています。
でもやっぱり、縁の下の力持ちはいやですか?
僕は職業柄、多くのコンサートで演奏しますが、照明や音響のスタッフには多くの女性がいます。
僕のような、ステージに立つミュージシャンより遥かにハードな現場で、それこそ汗にまみれている女性を一杯みてきました。いや、もっと言えば、照明や音響のような、繊細な感覚を要求されるパートには、女性が向いているのではないかとさえ思います。

あっ、ここで一言断っておきたいのですが、僕の立場は「男女に根本的な能力差は無い」です。人間の個体差はあっても、男女という括りで、その能力差を論じることには、何の意味もないという考え方です。
例えばぼくがどんなにトレーニングを積んでも、柔道の吉田沙保里さんには勝てないということです。

さて本題に戻りますが、ではなぜリズム隊に女性が少ないのか?
そこに企業における出世の壁のようなものがあるとも思えません。
確かにジャズを始め、音楽業界は未だに圧倒的な男社会であることは認めざるを得ません。でも少なくとも、一度ステージに立てば、そこはただ実力の社会。
いや、もっといえば、実力があって、しかもイケメンだったり美人だったりしたら、それこそそれが圧倒的な売りになる、不当な社会です!(僕も、すらっと背の高い、イケメンに生まれていたら、もう少し人生も変わったかも、ですね)

こんなあんなを色々考慮しても、少なくとも受け入れる側が拒絶しているようには思えません。
とすると、やはりプレーヤー側で自ら自主規制をかけているのでしょうか?
プロで食っていくのは厳しいから?
でもそれって選択する楽器にも、男女の差にも関係なく、みんなにとって同じように厳しいですよね?

う~ん、やっぱり理由が見えてこない。
筋力だったら、僕より握力の強い、あるいは筋骨隆々な女性、あるいは身長もある女性は五万といます。
情熱? でもジャズに対する情熱なら、素晴らしいピアニストやボーカリスト、管楽器奏者がその熱い想いの丈を示してくれています。

ところでなぜ女性の社会進出は進行しないのでしょう?
こちらには、やはり多くの壁があるようですね。
子育ての問題や、日本社会が持つ社会通念、教育のあり様等々。
僕は二人の娘を持つ親として、是非彼女たちには生き易い国であって欲しいと思いますし、女性であるがゆえに夢を砕かれるような国であって欲しくないと思います。
そのために自分に何ができるのか、出来ることを微力ながらもちょっとずつやって行きたいと思っています。
そんなことを思う中で、何故女性のリズム隊がジャズのフィールドにはかくも少ないのかという問いに、ヒントが見えれば、それはひいてはこの日本社会をより良くするのに、何か見えるのかなというような気がしています。

でも、今はその理由が全くわかりません!

CODA /納浩一 - NEW ALBUM -
納浩一 CODA コーダ

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